自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

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序章 八年目の春の風 0-3

「わたし、ずっとね。 研究センターに行きたいって思っていた」
「ふーん。営業所はいやか」
 克也は、ベッドで天井を見ていた。わたしは彼の肩に頭を乗せて、目覚めのまどろみの中にいた。

「いやって言うより。営業所で秘書をしていても、ロボットには関われないから」
「好きなのか、ロボット」
 克也の指が、わたしのほつれた前髪を梳く。のぞきこんできた顔は、さも意外だというように片眉があがっている。
「おかしい?」
「いや。ロボットの会社に勤めてるんだ。ロボットが好きな秘書がいてもおかしくはないさ」
 わたしの額にキスを落として、克也はまた、天井へと顔を向けた。

「大学院を出ているわけでもないし、工学をやったわけでもないけど。それでも研究センターに行けば、わたしにもロボットと直接ふれあえる仕事があるかなって」
「あるかもな」
「最近は……忙しくって勉強もできなくなって。何をやっているんだろうって思う」
「無理はしなくていいさ。お前、毎日毎日遅くまで。働き過ぎだ」

 交際を始めて一年もたつと、週末は克也がわたしの部屋に泊まるのが当たり前になっていた。それでも、歯ブラシとか着替えとか、彼の私物は置いていない。生活は、持ち込ませない。朝食をとると、彼は自分で身だしなみを整えて、すぐに出て行く。一歩わたしの部屋から出れば、彼が何をしようと彼の自由。わたしたちは、そういう関係。だから――

「俺、お前以外の女は全部整理した」

 ひどく唐突な、違和感のあるせりふだった。
「どうしたの? 急に。らしくないせりふ」
「希(のぞみ)……」
 わたしの方へ向き直った顔に、ベッドの上にはそぐわない、真剣な表情が張り付いていた。

「他の女はもう抱かない。これからは、お前だけにする」
「一週間、もたないクセに」
「一生もつよ」
「まさか」
「じゃ、試してみろよ」
「どうやって?」
「お前、ニブいな」

 克也は上半身を起こすと、次いでわたしの上半身もベッドの上に引き起こした。被っていた上掛けが滑りおち、素肌の胸が顕わになる。でも、彼の好色な指は、戯れてこない。克也は、眩しいように目を細め、それからわたしの耳元に口を寄せた。

「お前さ、俺の嫁になれ」
――えっ?
 ゆっくりと、克也の顔に視線を移した。
「もう、毎日遅くまで唇かみながら働かなくてもいい。秘書なんて、そこまでしてやる仕事じゃない」

――秘書なんて、そこまでして……
 秘書の仕事に、苦しみしか見いだせなかったわたしの胸に、彼の言葉が沁み込んだ。
「……そうだよね。秘書はもういい」
 ぼんやりと応えていた。
「だろ。俺の嫁さんになっちまえ。お前ひとりくらい、しっかり食わせてやる。秘書は他の人間でも出来る。でも、俺の嫁さんはおまえにしか出来ない」

「わたしが、克也のお嫁さん……」
 彼の言葉が、ようやくわたしの脳内に着地した。
「そうだ。眉目秀麗(びもくしゅうれい)、貯金はタップリ。上司のおぼえもめでたい男。今なら格安で提供するぞ」
「それって……プロポーズ」

 彼は口元に笑みをうかべ、少し照れくさそうにうなずいた。
 途端、身体の奥底から、怖ろしいほどの冷たい不安が這いあがってきた。プロポーズ、結婚、家庭……。知らず、両手が頭を抱えた。
「ダメ」
「何がダメなんだよ」
「わたし、わたし……」

 無理。結婚は無理。説明しなきゃ。克也は本気だ。でも、どう説明していいのかわからない。
 喉の奥、言葉がグチャグチャもつれている。
 克也は、筋肉質な腕でわたしを抱いて枕に戻した。上掛けをベッドの下に払い落とす。
「希(のぞみ)、結婚しよう」
 イヤイヤをする子供のように、首を振る。でも、彼は頓着せずにわたしの身体にのしかかる。
「家庭を作ろう。俺達ふたりの」
 彼は、自らに何の準備も施さず、わたしの中へ入ってきた。

――ダメ。結婚は……いや。違う……!
 複雑な感情が、一気にあふれ出してきて、どうしていいのか、わからなかった。気持ちが渦巻く。言葉にならない。
 女グセが悪くって、その分しっかり避妊する、そんな克也が自然のままに、わたしの中に入っている。決意が伝わる。胸板を押し返すわたしの両手は、簡単に押さえ込まれた。やがて、克也の熱い想いがわたしの中に、解き放たれる。

 終わったとき、頬が濡れていた。いつの間にか泣いていた。克也の唇が、わたしの頬の涙を拭く。相変わらず言葉がみつからないわたしは、どうしようもなくて彼の胸に顔を埋めた。もどかしい思いを抱えながら、忌まわしい思い出を脳裏に蘇らせていた。
 
 わたしは八歳、小学生の子供だった。六畳の子供部屋。そこにわたしは転がっていた。
 ジュータンはあちこちシミだらけで、お皿からこぼれた食べ物が散乱していた。汗と垢と食べ物の臭いが混ざり、ゴミ捨て場のような腐臭が部屋に充満していた。扉は外から鍵がかけられ、わずかにトイレの時だけ、鍵を開けてもらっていた。
 部屋は、不要になった愛玩動物を閉じ込めておく、檻だった。

 トイレが終われば、追い立てられるようにして部屋に戻る。母は、わたしが顔をあげるといつも怒鳴った。
――わたしの顔を、見るんじゃないわよ!
 食事は一日一回。わたしはケモノのように、手でモソモソと食べていた。
 時々、母に暴力を振るわれた。痛くはなかった。痛みを感じる術を、失っていた。
 娘を、汚らわしいもののように見る母親。死にかけた野良ネコのように、痩せ細り汚れた娘。妻と娘を、いない者のように無視し続けた父親。腐臭にまみれた部屋。わたしにとって、家庭とはこれだ。

 傍らに、小さなオモチャのロボットがあった。遠い昔、まだ父と母が優しかった頃、わたしがねだって買ってもらった。テレビの人気キャラクターだったと思う。正義の味方の少年ロボット。身の丈三十センチの彼は、プログラムされたスケジュールで……

 毎朝八時には「オハヨウ、ノゾミチャン」
 十二時には「コンニチワ、ノゾミチャン」
 夕方の六時には「キョウモ イチニチ タノシカッタネ、ノゾミチャン」
 夜九時には「アシタモタノシイ イチニチニナルヨ。オヤスミナサイ ノゾミチャン」

 単調な機械音で、わたしに話しかけてくれていた。
 わたしの世界には、彼しかいなかった。彼の言葉だけが、耳に届いた。
 
 ある日、わたしは踏み込んで来た制服の男の人たちに、抱えあげられて家を出た。母は、うつむいていた。父は、最後まで顔を背けていた。
 正義の味方はおいてきぼり。彼と別れて、わたしはとっても悲しかった。
 学校に来ないわたしを訝(いぶか)しがって、担任の教師がしかるべき機関に申し立てたのだと、後から知った。

 わたしは口がきけなくなっていた。栄養状態が落ち着き退院すると、施設に入った。その頃から、パニックをおこすようになっていた。
 たいていは夜、布団に入る頃にくる。
 ドクン…… って最初に、胸が鳴る。呼吸がだんだん荒くなる。マズイって思うけど、止まらない。冷や汗がフツフツと噴き出して……肩が上下し始める。ワァーッて…… 大きな声で叫んでしまう。
 
 高校を卒業した年、施設を出た。
 その頃には、すっかり症状も落ち着いて、普通の女の子になっていた。奨学金をとって大学へ。そしてジャルスに就職した。
 両親とは、家を出て以来一度も会っていない。もう、顔も忘れた。
 わたしの一番辛かったとき、わたしを支えてくれたのは、正義の味方クン。人に優しく寄り添う少年ロボット。だから――
 ロボットと、人とをつなぐ仕事に就きたい。
 わたしは強い想いを抱いて、ジャルスに来た。

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