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コンパニオンドール

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序章 八年目の春の風 0-4

――シアワセな家庭…… って、何?

 テレビの中で微笑み合う家族がいると、下手な作り話にしか見えないし。実感なんて、全然わかない。もし、テレビの中が正しいのなら……わたしの子供時代は何だったのか。
 どうして、あんな目に遭っていたの?
 わたしが悪い子だったから?

 そう思いたくなくて……だからホームドラマは嫌い。
 仲のいい夫婦、慈しまれる子供、笑いあえる家族だなんて、嘘くさくって。

 カウンセラーの先生が、わたしの症状が落ち着いた頃に、話してくれた。多忙な父の、家庭を顧みない生活が、母の心を蝕んだのだと。
「本当はお父さんもお母さんも、希(のぞみ)ちゃんが大好きなんだよ。ただ、いつのまにか歯車が狂っちゃって、自分達では直せなくなっていたんだ。ふたりとも、希(のぞみ)ちゃんの今の様子を話したら、泣いていた」

 先生の口からでる言葉は、子供騙しだ。
「会ってみるかい」
 わたしは首を、横にふった。身体の中に、冷たい塊が入っていて、親を求める気持ちなど、とうの昔に消えていた。

 大人になる頃には、世の中にシアワセな家庭はあるのだと、頭でだけは理解した。でも、実感なんか全然なかった。
 冷たい塊を抱えたわたしに、人を慕う気持ちなんてわからない。

 こんなわたしでも、声をかけてくれる男性はいた。
 形どおりにデートして、それなりの、するべきこともしてみたけれど……。それだけだった。どのつきあいも、もってせいぜい半年だった。踏み込まれるのが、イヤだった。
 そんなわたしが、克也とは一年以上続いていた。彼の、わたしに対する態度がよかった。踏み込まず、一定の距離をとる。たとえて言うなら、隣接の敷地をへだてる柵越しに笑いあう、そんな関係。軽いノリも好きだった。
 他の女性に手を出していても、構わない。週末に、わたしを暖めてくれるなら。
 与えてほしいのは、暖かい人肌だけだ。それだけで、いい。それだけが、いい。

 でも……
 今日初めて、克也の真剣な顔を見た。

 家庭を築きたい克也。家庭を信じられないわたし。
 家庭に入ってほしい克也。夢をあきらめきれないわたし。
 わたしたち、めざす未来は全然違う。
 克也は家庭の中に子供も欲しい。彼の態度はそう言っている。わたしは、自分の下腹を抱いてみた。
 もし、子供が出来たとしても……嬉しくない。産みたくない。
 父と母の、冷たい顔が頭をよぎる。忌避感だけが湧いてきて……心が決まった。
 わたしが彼に、家庭を与えることは出来ない。潮時だ。
 
 克也の胸から顔をあげた。ベッドから下りる。服を着て身だしなみを整えると正座して、ベッドの克也にプロポーズの返事をした。
「ごめんなさい。結婚は出来ません」
「他に好きなヤツでもいた?」
「克也以上に好きな男性なんていない……けど」
「だったら、なぜ?」
「ごめんなさい。わたしが悪いってわかってる。でも」
 大仰に三つ指をつき、頭を下げた。
「ごめんなさい」
 うまい説明は思いつかない。だから謝るしかない。
「お前、動転して、わけのわからないことを言ってないか?」
 克也の手が、わたしの顎をつかんで上を向かせる。
 つかまれたまま、わたしは克也の瞳を見つめ返した。

「うん、動転した。大好きな克也に、女はわたしだけって言われて、少し嬉しかった」
 そう、これは嘘じゃない。
「でも、結婚して家庭を作って……そういうのって、わたしダメなの。克也が描く未来のかたちは眩しくて、わたしはちょっと、踏み込めない」
 克也の手が、顎からはなれる。彼の顔から、力が抜けた。
「誰だって不安はある。ふたりでいれば、乗り越えられるさ」
 わたしの言い訳を、よくありがちな、躊躇いだと誤解している。
「克也は家庭がほしいんでしょう? わたしはダメ。恋人同士のままがいい。無理ならもう、終わりにしたい」
「理由になってない。断るなら断るで、ちゃんとわかるように説明してくれ」
 克也の顔に、苛立ちが浮かんだ。

「……怖いのよ」
 瞼を閉じた。遠い思い出が、一筋の腐臭を放つ。次の瞬間、ひと息に怒鳴っていた。
「結婚はイヤ。怖いのよ! 家庭も、家族も。そんなのいらない!」
「怖い? 希(のぞみ)、家庭の何が怖い?」
 克也から、顔を背けた。
「ごめんなさい、もう来ないで。部屋の鍵も、返して」
 ずっとジュータンの織り目を見ていた。身を潜め、嵐が過ぎるのを待つ気持ちだった。
 頭上で、克也のため息が聞こえた。彼が立ちあがり、服を身につけ荷物をまとめる音がする。足音が離れて行く。玄関のノブが鳴る。一瞬、外の雑音が入りこみ、すぐに消えた。わたしが顔をあげたとき、玄関の狭いたたきには、克也の靴はもうなかった。
 わたしと結婚するつもりで、すでに克也が部長に話をしていたと知ったのは、その後だった。
 
 プライベートな関係が終わっても、職場での克也は、むしろこちらが驚くほどこれまでどおりに接してくれた。ほっとした。わたしと克也の交際は、営業所内には伏せていたから、部長以外誰も知らない。
 問題は、部長だった。
 いつもはしかめっ面の部長の機嫌が、ずっといい。彼は、わたしが克也と結婚するものだと思っている。自分が可愛がっている部下が、自分の秘書と一緒になる。研究センターに異動したいとウルサい秘書も、これで大人しくなるだろう。やっと八方丸くおさまる。
 そう考えているのが、ありありだった。克也が、破談を部長に報告していないのは、明らかだ。

 部長は、わたしと二人だけになるとすり寄ってきて「永井君、最近きれいになったね。伏木君もメロメロだな」とか「祝辞はいいのを考えてあげるからね」とか……。
 申し訳けないけれど、鬱陶しい。
 克也は、どうして報告を引きのばしているのだろう。わからなかった。部屋の鍵も、戻ってこない。でも、彼はわたしに復縁をせまるようなこともしない。ただ、淡々と時が過ぎた。

 克也に、新たな女性の噂はたたなかった。今思えば、女性の噂ばかり流していた彼が、わたしとのことだけは、一切表に出さず隠しとおした。彼は最初から本気だったのかもしれない。胸が痛んだ。それでも、わたしの決意は変わらなかった。
 
 年があけた。年初の所属長面談。上司と部下で、この一年間の目標設定をおこなう大切なもの。 部長はいつも、面談時は人の顔色を伺う素振りだったのに、今日はとっても楽しそう。

「いやー、今年はいよいよだね」
「何がですか」
「いや、伏木君と」
「すみません。伏木さんからどう聞かれているか存じませんけど、わたしは会社を辞めるわけではありません。将来の希望もこれまでと変わりません。研究センターを希望しています。もう、八年目になります。ぜひお力添えください」
「それ、伏木君とは相談したうえで言っているの?」
「この件に関して、伏木さんは関係ありません」
「永井君、ダメだよ。これからはちゃんと、ふたりで相談してから決めないと」

 克也には悪いけれど、言わないと話が先に進まない。意を決して、プロポーズを断ったことを部長に明かした。

「信じられん。彼からは、そんなことは、ひとっ言も聞いていない」
 本当に信じられない、というように、部長は大きく目を剥いた。
「申し訳けありません。わたしではなく、先に伏木さんから報告すべきことだったかとは思いますが」
「研究センターに行きたいから、結婚をあきらめたというのか?」
「いえ、違います。ただ、わたしの夢に伏木さんは関係ないということを、ご理解ください」
「そこまで我をはるとは……君も強情な女性だな。大切な人を支えながら生きていきたいとは考えないのか」
「申し訳けありません。わたしにはわたしの夢があります」
 わたしは頭を下げた後、顔をあげまっすぐと、部長の目元に向かって答えた。

 部長は、しばらく眉間にタテじわをよせ、机上でモミ手を繰り返していた。

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