コンパニオンドール
< BACK1章 桜の下で君がみつめる 1-1-04
――アドバイザー、ハズレ。
机の上で組んだ指に、落胆のため息を落とした。
アドバイザーって、面倒見のいい「デキる」人がなるって話じゃなかったっけ。
教卓では、ハズレな男がエアスクリーンを起動して、そこに映した研修スケジュールの説明に入った。
彼が「デキる」男がどうかは、わからない。でも、多分面倒見のいいタイプではない。
まず、愛想がないし、とっつきにくい。監視カメラのような視線で、人のことをジロジロと見る。何よりも、笑わないのがいただけない。営業マンなら即失格。わたしだって職場では、笑いたくない時でも笑顔を見せるように努めた。それが社会のマナーってものだ。
サラを思った。ロボットだけれど、にこやかだった。訪問者と対話しながらうなずく仕草も、自然だった。最初こそ、マネキン人形に話しかけられるような違和感に腰がひけた。でも、すぐに慣れた。
――いやいやいや。
ネガティブ方向へ走る思考を呼び戻す。
初日から、決めつけちゃダメだ。彼は、あの広瀬さんの下から来ている。つまり広瀬さんが、認めた人ということだ。
赤色のレーザーポインターをエアスクリーンの画面に投影させて語るアドバイザーの横顔に、また目を引かれた。正面から見るのと違って横からだと、無表情なのが気にならない
あごの線がハッキリしていて、やっぱりきれいだ。それに、額が広くて理知的に見える。合コンを期待している秘書仲間に、紹介したら喜ばれそうな見てくれだ。
須藤環(たまき)、と純粋な日本人名を名乗っていたから、多分彼は帰化人かハーフ。ううん、言葉に全然クセがないから、日本生まれ、日本育ちのハーフかもしれない。きっと、お母さんが外国の人。相当の美人のはず。仕草に色気があってきれいだから、舞踊とか習い事をしているのかもしれない。男子でそーいう習い事をする家となると、随分と雅(みやび)な家だ――
いきなり隣のゆかりから、肘鉄とともに小声の注意が飛んで来た。
「希(のぞみ)っ! あなたからよ」
「えっ、わたし? 何?」
「自己紹介! 何聞いてたのよっ!」
ゆかりのさらに隣で、渡邊さんがニヤニヤしている。ボンヤリしていたのは、バレバレらしい。
恐る恐る、顔をあげて正面を見た。アドバイザーが、あの人形のような顔のまま、無言でわたしを待っている。背筋の産毛が立つ気がした。怖い。怒った顔をされるより怖い。慌てて立った。
「なっ、永井希(のぞみ)です。都心の営業所で秘書をしていました。隣の佐々木さんとは、同期です」
ここまで話すと、当初の焦りはひいた。言葉を切り、息を整え続きを話した。
「ロボットが好きです。ロボットメーカーに勤めているのだから、当たり前かもしれませんが。ロボットと人の架け橋になれるような仕事をしたいと思い、異動してきました。よろしくお願いします」
お辞儀をして、ふと顔をあげたら、無機質な視線がまた、わたしを見ていた。身構えた途端、褐色の顔がうなずいた。わたしの言葉に、この人形のような男がうなずいた。
袖を下方向にひっぱられて、見るとまた、ゆかりだった。続けざまに引っ張られる。
――あっそうか。
ボーッと突っ立っている自分に気付いて、着席した。さっきから、わたし、一体どうしたんだろう。我ながら、挙動不審だ。初日のせいで、舞いあがっているんだろうか。
わたしの次に、ゆかりが立った。
「佐々木ゆかりです。先ほど永井さんが言いましたように、彼女とわたしは同じ入社年次です。工業デザインに興味があって大学はその方面を出たんですけど、力不足だったためか入社時には技術職として採用されませんでした。それで研究センター内の総務部で秘書をしていました。今回、やっと社内試験に受かり、異動となりました。よろしくお願いします」
見ると、あの大きな瞳はゆかりのことも、無機質に見つめている。
ううん。見つめているというより、カメラのレンズを向けている……そんな表現の方が似合いそう。
最後に、渡邊さんが席を立った。
「俺……じゃねぇな、『わたし』だ。わたしは、渡邊尚志(なおし)、四十二歳です」
――四十二歳!
四十代かな、とは思っていたけれど。
この年齢で職種転換を果たしたって、どういうこと?
太い眉の下の、愛嬌のあるドングリ眼が細くなった。
「えー、わたしの場合、職種転換ではなくて、転属です。ジャルスの子会社から移ってきました。仕事は営業と総務を経験してきました。こちらでは、監査部門に配属予定です」
そうか、転属。そういうルートもあったんだ。研究センターの間口って、意外と広い。きっと、番場部長も知ったら驚く。
「いやぁ、まさか研究員になるわけでもないのに技術研修を受けるなんて、とびっくりしてます。いい加減、年齢(とし)なんで、ついていけるのか心配なんだけどね。きれいなお姉さんたちにみっともないところは見せたくないから、頑張るしかないよな。仲良くやろう。よろしく」
渡邊さんの戸惑いは、わからなくもない。本来、基礎技術研修は、その名のとおり「技術系」に分類される専門職に就く人向けだ。研究、開発、製造、保守のエンジニアと、営業職の人だけが受ける。なまじ子会社で耳にしていれば、この研修の存在は知っていても、自分には関係ないと思っただろう。
実は、この研修の「対象範囲」には例外がある。研究センターに勤める社員だ。「技術系」でなくても、専門職に就く場合は受けなくてはいけない。技術的素養が、この職場での共通言語になるかららしい。
ちなみに、秘書は専門職とされていないから、勤務先に関わらず対象外になる。
元から研究センターにいるゆかりも、秘書だったので受けていない。今回、専門職への職種転換が決まったから、受けることになったのだ。
渡邊さんが着席すると、アドバイザーは、あまり心がこもってはいなさそうな抑揚のない声で、ありがとうございました、と応じ「このクラスは、みなさん三名となります。三ヶ月間の長期となりますが、よろしくお願いいたします」と、簡単にまとめた。
ゆかりが、手を挙げた。
「仮配属は広瀬研究室だと聞きましたが、わたしたち、もう本配属も決まっているんでしょうか」
アドバイザーが答えた。
「転属の渡邊さんは、確定です。よほどのことが無い限り、監査部に配属されると思います。佐々木さんと永井さんについては、前もっていただいています希望内容と研修期間中の様子から適性を判断して、ということになります」
「わかりました。ありがとうございます」
応えたゆかりの表情が、固くなった。彼女とわたしは、研修期間中の成績や態度によっては、どこに飛ばされるかわからない身の上ということだ。安心している場合じゃない。
「みなさん、本配属はバラバラになる可能性が高いですが、研修期間中は広瀬研究室のメンバーということになります。通称、広研(こうけん)と呼ばれていますが、これは室長である広瀬さんの『広』の字をとり、音読みにしたものです。通称で呼ばれることが多いので、心に留めておいてください。部門のミーティングや行事にも参加していただきます。それから――」
褐色の長い指が、エアスクリーンに向けて空文字を描いた。スクリーンに文字が浮き上がる。
歓迎会
十八時三十分
二号館 地下カフェテリア
筆の「止め」や「払い」がしっかりとした、丁寧な文字だ。
「早速本日、広瀬室長主催で皆さんの歓迎会がありますので、ご参加ください。説明は以上です。ご質問はありますか」
一拍おいて、無愛想ヅラのアドバイザーは、エアスクリーンを消した。
「では、研修期間中に宿泊していただく寮の方へ、今からご案内させていただきます」
彼は、教卓の上を淡々と片付けると、わたし達に会議室を出るよう促した。
「噂にたがわずだわね」
席を立ちながら、ゆかりが納得気(なっとくげ)に呟いた。
「え、何? 噂って」
「タ・マ・キ君。彼、有名なのよ。ここじゃ何だから、後でね」
ゆかりは、わたしの耳元に口を寄せると、小声で意味深に囁いた。