コンパニオンドール
< BACK1章 桜の下で君がみつめる 1-1-05
アドバイザーを先頭に、一号館のロビーを抜けて外に出た。春の日差しが、足元に柔らかな影を作る。建物どうしをつなぐ、舗装された小道に入った。うねうねと小さなカーブを繰り返すこの小道は、途中、趣向なのか木道もあり、まるで隣接する公園の中の遊歩道のようだ。大荷物さえなければ、散策を楽しむところだけれど、荷物のお化けと化した身は、五分とたたずに音(ね)をあげた。
――と…… 遠いじゃないのよっ!
巨大ドーム型の実験棟を取り囲む建物群は、時計まわりに七時の位置が今出てきた一号館、十時の位置に二号館、さらに奥、十二時の位置にわたしたちが目指す社員寮がある。つまり、一号館からみて一番遠い位置にあるのが社員寮だ。今、わたしたちは、だだっ広い敷地を縦断している。
大体、ウチから最寄の駅までの舗装された道、十分だって、音(ね)をあげたのに。皆と同じペースで歩けるんだろうか。
「研究棟の間で大荷物を移動させるときも、こんなふうに延々と歩くんですか」
進行方向に向け、やや上り傾斜の道にあえぎながら、先を行くアドバイザーの背中に愚痴を投げた。声がつい、責めるようにキツくなる。我ながら、大人気(おとなげ)ないとは思うけれど……。重い、重い……手が痛い。
「大きな貨物は、地下のコンベアーを流します」
何だってぇ!
「コンベアーあるのっ?」
思わず叫ぶと、アドバイザーが足を止めて振り返った。
「じゃ、コンベア使わせてください。ついでに、わたしも荷物と一緒に流してくれるとありがたいんですけど」
もう、半分ヤケクソで言ってみた。でも、人形顔のアドバイザーは
「人間は流せません。それにコンベアーですと、いったん物流センターの集荷室に集められてしまいますので、少し時間がかかります。お部屋についてすぐ荷物を開くのでしたら、ご自分で運んだほうがよいと思います」
などとつまらない回答をする。
――あ~、そうですか
杓子定規なオトコには、冗談も泣きごとも通じゃしない。
「希(のぞみ)ちゃん、持ってやろうか」
骨ばった手が伸びてきた。渡邊さんだ。彼自身は、小さなブリーフケースひとつしか、荷物がない。
「いえ。大丈夫です。頑張ります」
アドバイザーが歩き始めた。トランクを引きずる手を持ち替えて、後に続く。手が痛い。ゆかりがわたしの隣に来た。彼女は、小ぶりなザックを背負っている。
「希(のぞみ)、事前に送っとかなかったんだ」
「引き継ぎとかあって、送る暇なかった」
今回の研修の案内には、確かに「荷物は事前に宅配、または社内便扱いで送付可」と書いてあった。でも、普段から毎日帰宅が十時になるだけの仕事があり、さらに最後の一ヶ月は、後任への引き継ぎもあった。引き継ぎ期間中は、早朝出勤、最終電車の日々だったから、荷物を送る余裕はまったくなかった。
傾斜が次第にきつくなる。ジャルスの敷地は、正門から奥に向かって、なだらかに標高が上がる。一番奥までいけば、そのさきは敷地内公園の森になる。いい加減、手が痺れてきたとき、目の前にイヤなものが現われた。
――階段!
迂回用のスロープはある。でも三、四段程度でいちいち遠回りするのも癪にさわる。歯を食いしばり、トランクを持ちあげる。しばらく行くと、また階段。上り勾配の道と階段の繰り返しになった。これじゃ、まるで拷問だ。あとどのくらいあるんだろう。
「荷物、お持ちしましょう」
頭上から、平板な声が降ってきた。見上げると、チビなわたしを人形の顔が見下ろしていた。
「いいですっ! 大丈夫です」
バテていたせいか、自分でもびっくりするほど、つっけんどんな物言いになった。見上げると、彼は眉ひとつ動かさずに、わたしを見ている。気マズイ……。鞄をつかむ手に、力が入る。
「ここまでの永井さんのペースで歩くと、あと十分以上はかかります」
「あと十分?」
ひるんだ隙に、褐色の手がトランクを軽々と取りあげた。
「ち、ちょっと!」
「すみません。でもここからさき、まだ階段が続きますので、永井さんには苦しいと思います。平らなところに着いたらお返しします」
人形の顔は、言うだけ言うと、スタスタと先を歩き始めた。
「希(のぞみ)。ありがたく持ってもらいなよ」
ゆかりがよってきて、耳元で囁いた。
わかっている。ゆかりが正しい。彼女と並んで歩き、うなずいた。
昔から、親切を受けるのは苦手だった。なるべく人に頼りたくない。
荷物の重さで、赤くなった手を握り締める。
人形の顔のアドバイザーは歩きながら、途中の施設について淡々と解説した。
「今、ちょうど目の前に見えてきたのが二号館です。広研(こうけん)はこちらの三階にあります。食事の施設は各棟にありますが、寮と実験棟にはありません。皆さんの場合、朝食は寮から近いこの二号館に出向くことをお勧めします」
レースのような新緑をまとう木々に囲まれた、低層の白い建物を通過する。さらに敷地の奥へと向かった。めざす寮は、まだ先だ。
「隣り合う建物は、成人男性が身軽な状態で歩く場合で、およそ片道五分の距離になります。ですから、一号館から寮までは十分強、女性の足ですと十五分ほどになります」
それを先に言ってよね、と思わず前を行く広い背中を睨み倒した。確かに、カラ身で十五分の傾斜道を、非力なわたしが大荷物抱えて動くのは、無理がある。何につけ、センターは大きい。
トランクは平らなところに着いたら返す、なんて大ウソで、結局アドハイザーは寮まで持ってくれた。玄関の前でトランクを返してもらったときは、さすがにありがとうの言葉が出た。
三人とも、部屋は並びだった。
「永井さんは23、佐々木さんは24、渡邊さんは25号室です」
アドバイザーは、またもや無表情な人形顔で、ヌッとカードキーを差し出してきた。受け取るとき、思わず半歩後ずさった。ドキっとした。何の感情も浮かべない顔。
「それでは六時半に、歓迎会でお会いしましょう」
「ありがとうございました」
無愛想なアドバイザーに頭をさげて、すぐ背中を向けた。
彼の顔を見ていると、神経が逆なでされて、ザワザワする……。
どうしてだろう。あのサラでさえ、わたしはすぐに慣れたのに。生きている人間の、この無表情な顔が怖い。
会った瞬間から目が吸い寄せられた。最初はその容姿と仕草に惹かれたけれど、次第に表情の虚ろさが気になりだした。見ていると、落ち着かなくなる。だったら見なければいいのにと、思いながらも見てしまう。
何だろう。この不快感。この寒々しさ。
理由があるのよ。絶対に。
でも、わからなくって、もどかしい。
とりあえず、部屋に入ろうとしているゆかりを突ついた。
「ねぇ。一時間くらい早めに行って、少しお茶しない?」
「いいわよ。じゃカフェテリアの入り口で」
ゆかりはそう言うと、鍵を開けて、部屋に入った。
わたしも割り当てられた部屋の前に、よっこらしょと荷物を置いた。トランクと、ショルダーバッグだ。受け取ったばかりのカードキーをセンサーにあてる。カチャリと音がした。扉を押しあけようとして、何かにつまずき、転びそうになった。
――うわ、やった!
足元におろしていた荷物を蹴飛ばしていた。よりによって、口の閉じないショルダーバッグ。口から飛び出た電子パッドや筆記用具、化粧ポーチ、ハンドタオルが通路に散らばる。ここまでの疲れとイライラがあいまって、泣きたくなった。
――せっかくの記念すべき初日なのに。わたし、一体何をやってんのよ!
こういうことを、泣きっ面に蜂って言うに違いない。