自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-1-07

「もしかして、異動と関係ある?」
 声を落として聞くゆかりに、首を振った。
「今回の異動は、関係ない」

 克也にプロポーズされたこと、でも自分の人生の中に結婚という生き方は見えなかったこと、彼が期待している「家庭」を与えてあげることは出来ないと思ったから別れたことを、かいつまんで話した。もちろん、わたしの幼い頃の話なんか出来ない。慎重に、言葉を選んで説明した。
「希(のぞみ)。結婚って怖い?」
 苦笑した。ゆかり、いい線衝(つ)いている。
 そう、結婚は怖い。結婚が、というより家庭をもつことが怖い。

 プロポーズを断った時、克也が黙って部屋を出て――あの時、申し訳けないけれど、ほっとした。
 自分でも、ひどい断り方だったと思う。ただ「家庭が怖い」としか言わなかった。克也は、さぞかし面食らったことだろう。
 ああ、そうか。
 彼が、なかなか部長へ報告できなかった理由がわかった。
 自分がプロポーズした女は、自分のことを好きだと言う。そのくせ結婚は出来ないとも言う。理由も、今ひとつはっきりしない。どう理解すればいいのか、相当悩んだに違いない。彼なりに納得するまでに、時間が必要だったんだ。

 克也は、わたしの生い立ちなんか全然知らない。
――希(のぞみ)はしっかりとしていて明るいから、両親に大切にされて育ったんだろうなって思う。
 いつだったか、そんなことを言われて、彼と自分の間の距離を見せつけられた。
 育児放棄されて死に損なって……実は施設で育ったんです。シアワセな家庭なんて、知りません。信じることもできません。だから家庭はもちたくないです――
 はは。言えるわけないじゃない。
 他人の克也に、傷を触られたくはない。克也だけじゃない。誰ひとり、わたしに触れてほしくない。

 はっとした。
 結婚が怖い、というだけじゃなく――
 自分の内を探るように、視線を動かす。胸の片隅に、黒々とした小さなわたしが、怯えたようにうずくまっている。ひとりにして、と震えている。

――ひとりにして
 ああ、そうか。そうだったんだ。
 わたしは、誰にも踏み込まれたくなかった。
 交際中、わたしは部屋に、彼の生活を一切持ちこませなかった。歯ブラシ一本、ひげそりひとつ置かなかった。自分だけの安全圏を侵されたくなかったからだ。
 結婚したら、夫婦になったらそうはいかない。わたしは、わたしひとりの安全圏を失ってしまう。  ヒンヤリとした、歪(いびつ)な笑いがこみあげてきた。ゆかりが、辛抱強く目の前で、わたしの答えを待っている。よくない笑みを噛み殺した。

「結婚生活なんて、怖いというより実感がわかない。ずっと恋人同士をしていてくれたらいいのにって思っただけ」
「何か、結婚ってことでイヤな思いでもした?」
「ううん。ただね。わたしの両親、あんまり仲良くなかったんだ。だから、シアワセな家庭って、どういうものかイメージ出来ない」
 ゆかりのきれいに整えられた眉が、遠慮がちに寄った。

「ねえ。希(のぞみ)にとってはさ。この先、どういうのが理想なわけ? 彼、希(のぞみ)にとって最高の男性だったんでしょう? そんな人からのプロポーズを断るなんて、わたし理解できない」
「無理して理解してくれなくていいよ。わたし、結婚とか家庭生活とかって……どうしてもダメなの。一人で暮らして、ときどき恋人がいるっていうのが理想。あんまりお互いの人生に深入りしたくないし、されたくない」
「知らなかった。希(のぞみ)がそういう考えをもってる人だって。ねぇ、言っちゃ何だけど……そういう考え方って、淋しくない?」

 淋しいなんて、感じたことはない。一生結婚はしない。家庭ももたない。漠然とだけれど、それがわたしにとって、一番楽な生き方だと思ってきた。
 でも、これを言っても、強がりだと否定されるのはわかっている。「どうだろうね」と軽く流した。
「彼には、期待させちゃって申し訳けなかったな、とは思ってる。だから、当分レンアイはいい」
「そっか」
 ゆかりが、何ともいえないような、複雑な顔をしている。だから、この話題は避けたかったのに。
「希(のぞみ)……」ゆかりは両手の指を目の前で組んだ。「あなたの感覚は理解してあげられないけど……でもね。いつかきっと、ずっと一緒にいたいって思える人が現れる。ただもう、ひたすらに一緒にいたいって人が。絶対に。わたしはそう信じる」
「ありがとう」
 善意を剥き出しにしている彼女に、わたしは曖昧に返事した。
 ごめんね、心配させて。ゆかりがいい人なんだって、わかっている。おかしいのは、わたしの方。でも、この話題はもうしたくない。

 沈んできた空気をどうにかしたくて、ワザとらしいほど明るい声で、話題を変えた。
「そんな顔しないでっ。もう、わたしのことはいいから。それよりゆかりはどうなのよ。永い春の君とは、うまくいってるの?」
 ゆかりには、大学時代からの彼氏がいる。いい加減長いのに、一緒になる気配がない。
「うーん。希(のぞみ)の話を聞いた後じゃ、ちょっと言いにくいわね」
「何よ、言いなさいよ。ひとのことばっかり聞いてないで」
 ゆかりは両手を合わせると、わたしを拝むように、頭を下げた。

「ごめんっ。結婚することになった」
「えーっ! それこそ、いつのまにそんな話になったのよ」
「今回の異動が決まったとき」
 ゆかりの口元が、はにかむように綻(ほころ)んだ。
「お互い口には出さなかったけど、わたしたち、いつかは一緒になるだろうなって思ってたのね。だから内示を受けた時、彼に相談したの」
「相談って……彼がダメって言ったら辞退する気だったの?」
 ううん、とゆかりは首を振った。
「辞退はしない。でも、仕事が変われば生活も変わるし。これからも付き合ってくれるかなって、彼に聞いたの。そうしたら『応援する、一緒になろう』って、プロポーズされちゃった」
「わぁっ! おめでとう」
 テーブル越しに、ゆかりの手を握り締めた。ぐいと引く。前のめりになった彼女の肩を抱いた。
「本当におめでとう。わたしも嬉しい」
 ふわふわとウェーブのかかったゆかりの髪が、わたしの頬の横で動く。ゆかりが無言でうなずいていた。
 女同士の抱擁を解くと、ゆかりは照れくさそうに、胸元のブラウスのボタンをひとつ開けた。
「見てくれるかな?」
 下にかけているチェーンを手繰りよせる。チェーンの先には、指輪がぶら下がっていた。
「これって……婚約指輪?」
「そう、彼からもらったの」
 ゆかりの掌(てのひら)の中で、キラキラと輝く小さなダイヤ。ふたりの想いが、小さな石の中にキュッと詰まって光っている。

「きれ……い」
「ありがとう。 職場はまだ、希(のぞみ)以外誰にも言ってないから内緒ね。研修が終わって、本配属先に着任してから報告しようと思っているの」
「だから指にしないで、胸元に下げて隠してるんだ」
「あたり」
「あ~あ。おんなじ頃にゆかりはプロポーズを受けて、わたしはオトコと別れてたんだ。わたしってトホホだねー」
 おどけてみせると、ゆかりが笑った。
「ごめんね。わたしだけ」
「じゃ、そのシアワセを還元してもらうかな。ケーキで手を打とうか」
「あら、それだけでいいの? じゃ、ケーキプラス、希(のぞみ)が次の恋に巡り合ったとき、わたしが一番の応援団になってあげるわ」
 ゆかりの顔が輝いている。
「あはは、じゃケーキだけ、先にいただいとくよ。応援団は機会があればね」
 シアワセそう。わたしも嬉しい。
 ゆかりはゆかりの、わたしはわたしの人生だもの。素直に喜べる。本当よ。

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