自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-1-12

「早速、仲いいね。アドバイザーと研修生が仲いいのは、いいことだ」
 アドバイザーの正面に座る先輩氏が、冷やかした。
「永井さん、佐々木さん。こいつねぇ。いいヤツなんだけど、ちょっとズレてっからさ。しっかり揉んでやって」
 先輩氏が、アドバイザーの肩を親しげに叩いて、ゆかりとわたしに同意を求める。
 叩かれた「ズレてる」アドバイザーは何を思ったのか、よろしくお願いします、と素直に能面の顔で頭を下げた。テーブルが、どっと沸いた。
「環(たまき)。飲め。お前、酒、強いじゃないか」
 差し出されたコップ酒を受け取ると、アドバイザーは躊躇いなく一気にあおった。ケロリとしている。さらに別の人が、面白そうに彼に酒を注ぐ。飲め、と言われるとまた一気にあおる。ゆかりがわたしの耳元に「環(たまき)君、ウワバミなのも有名」と囁いた。

 テーブルのお皿がどれも空いてきた頃、お手洗いに立った。ちょうど、あの虎の巣窟の脇を通る。みつからないといいけれど、と緊張しつつ、足を速めた。観葉植物の鉢ごしに、泥酔寸前のだらしない姿勢でソファにそっくり返る二匹の虎の姿が見えた。渡邊さん、大成功だ。
 虎の傍らに、人がいた。え? と思い凝視した。一人は渡邊さん。腕組みしながらニヤニヤしている。もう一人、仁王立ちになっている大柄なのは――
 広瀬さんだ。慌てて柱の影に隠れた。

「かなりご乱行だったようね」
 彼女の、低く凄む声が聞こえた。ぁあ? と年配のほうの虎が顔をあげた。
「ウルセぇよ、ババァ」
――うわぁ、上司に向かって言うんだ。
 ハラハラしながら見ていると、虎が汚いお絞りを丸めて投げつけた。広瀬さんは、上半身を少しひねるだけで易々とかわし、次いで身をかがめると、いきなり片腕で虎の胸倉を掴んで吊りあげた。そのまま席からひきずりだして、物影に連れ込んだ。
 見えにくい角度になったから、慎重にわたしも回り込む。首を伸ばした。
 連れ込まれた虎は、襟で締めつけられた首が苦しいらしく、広瀬さんの手をはずしにかかっている。でも、広瀬さんの手はビクともしない。すごい。男性をしのぐ体格の広瀬さんは、パワーも桁はずれだ。

「これで何度目? あなたは毎度毎度、お酒を飲むと暴れて」
「お、俺は……何もしてねえっ!」
「そう。このアルコール漬けの脳みそは、自分が何をやらかしたかも覚えてないんだ」
 広瀬さんは、虎を自分の方へ引きつけた。
「おしえてあげるわ。あなたね、踏み越えちゃいけない一線を越えたのよ」
――え?
「その汚らしいクビ、洗って待ってなさいっ」
 虎が、勢いよく壁に叩きつけられた。
 壁伝いに崩れ落ちると、虎は足を投げ出し動かなくなった。

 怯えた顔で、なりゆきを見守っていたもう一匹の虎が、喚いた。
「渡邊、どけっ!」
「やだ。俺、オンナの味方だもーん」楽しそうに両腕を広げ、彼はニヤニヤとしながら退路を塞ぎ、女処刑人の方へとじわじわ追い詰める。
「逃げなくてもいいのよ。酔いを醒ますお手伝いをしてあげようってだけなんだから」
 女処刑人は、拳をピタピタと手のひらで打ちながら、威嚇している。
 彼女の脇をすり抜けて奥へ逃げようとした虎は、すでに潰れた虎の投げ出した足につまずいて、派手に転んだ。観葉植物の鉢に頭を突っ込んで、とうとう動かなくなってしまった。

 二人にみつからぬよう、物影を伝って席に戻った。今見た光景が、信じられない。目をこする。わたしも飲み過ぎたのか、と不安になる。まるで、テレビか映画のアクションシーンのようだった。
 それにしても、職場であんなに乱暴なこと、するなんて。

――あなた、踏み越えちゃいけない一線を越えたのよ
 振り返った。もう、広瀬さんの姿も渡邊さんのそれもない。物陰で「お仕置き」された二匹の虎は、ここからだとまったく見えない。誰もいないテーブルだけが、ポツンとある。
 広瀬さんも渡邊さんも、多分、わたしが何をされたか知ってしまった。だからこそ、普通じゃない怒り方をした。ただ飲み過ぎただけでは、あそこまではしないはずだ。
 羞恥に胸がきゅうっと痛む。わたし、被害者なのに。そうは思っても、いたたまれない。
 宴会は、間をおかずにお開きとなった。

 使ったお皿を重ね、コップを寄せていると、背後から声をかけられた。広瀬さんだった。さっき見た光景が信じられないほどに、穏やかな表情をしている。ちょっといいかしら、とカフェテリア内の、宴会をしていたコーナーからは離れた席に誘われた。周囲には、誰もいない。

「永井さん。申し訳けありませんでした」
 いきなり、広瀬さんはその大きな身体を折りたたみ、深く謝罪の姿勢を取った。
「あ、頭をあげてください」
「本当に、謝って済むものでもないけれど。ごめんなさい」
 あぁ、やっぱりそうだったのだ、知っているのだ、と気が重くなる。広瀬さんは、頭をあげると続けた。
「あの二人は、内規にしたがって厳重に処罰します」
「あの……話したの、須藤さんですか?」
 わたしが嬲られたことを知っているのは、彼だけだ。けれど、広瀬さんは首を振った。
「最初は尚志。タチの悪いのがいて、環(たまき)君を殴ってたぞ。監督責任だ、何とかしろーって言いに来たの」
「それで、どうしてわたしに謝るんですか?」
「暴れた二人はね、日頃から環(たまき)のことは嫌って避けている。環(たまき)の方も、あの二人には業務上の必要がなければ近づかない。接触がほとんど無い関係なのよ。なのにトラブルっていうのは変だなって思った。だから環(たまき)に聞いたの。そうしたら、あなたが捕まっていたので席から連れ出した。それで機嫌を損ねたようですって言うから」
「あの、他には」
 押さえ込まれていたとか、スカートに手を入れられていたとか。男性の――彼の口から語られていたら、もう明日から顔を見ることなんてできなくなる。
「いや、それだけ。環(たまき)は、詳しいことは言わなかった。でも、わたしもオンナだからね。大体は察した。それにね。以前、何を血迷ったかわたしにまでチョッカイだして、目にアオタン作ったのよ、アイツは。もっと早くに手を打つべきだったわ」
「広瀬さんも……」
 目鼻立ちがハッキリしてグラマラスな広瀬さんは、確かにオトコの目から見るとそそるオンナかもしれない。つい、口元に手が寄ると、広瀬さんが笑った。
「よかった。あなたの笑顔が見れて」
 上からではない、同じ目線から労わる顔だ。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」緊張は、少しほどけた。

 広瀬さんの背中を見送ってから、すでにお開きとなっている宴会場へ戻った。マメマメとかたづけているゆかりの背中が見えたからだ。厨房のカウンターは、シャッターが下りている。遅いから、お店の人はもう帰ってしまっているのだろう。この店は、レストランではない。カフェテリアだし、かたづけはセルフということらしい。案の定、あのアドバイザーもトレイにグラスをたくさん乗せて、食器の返却口に運んでいる。早速わたしも、ゆかりと並んだ。
「これ、環(たまき)君に渡されちゃった」
 彼女から差し出されたのは、プラスチックの空のパックだった。
「手がついてないものは、お持ち帰りOKなんだって。希(のぞみ)、いる?」
 サラダとかフルーツとか、女性が好むようなものがだいぶ残っている。女性比率が低いせいだ。
「もらってこっか」
 わたしも、メロンやプチトマトを拾い上げた。
「そう言えば渡邊さんは?」
 ゆかりの問いに、わたしも周囲を見渡した。
「いないわねぇ。あのオッさんも頑張っていたから、疲れて帰っちゃったのかしら」

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