自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-1-14

「兄貴が死んだのは、事故だった。隣に『敷地内公園』って、あるだろ。そこの展望台の崖から落ちた」
 敷地内公園、と言われ、イヤな気がした。寮はセンターの敷地の最奥だから、背後はもう公園に接している。今いる建物のすぐ近くが、死亡事故の事故現場ということになる。
――もしかして、コレは余興で、怪談話でもしようとしている?
 一瞬疑ったけれど、渡邊さんは真面目な顔を崩さない。聞いているこちらも、自然と背筋に力が入る。渡邊さんは、そんなわたし達をゆるりと見渡し、少しだけ申し訳けなさそうな顔をして続けた。
 
 亡くなったお兄さんは、名前を堤啓司といった。名字が違うのは、ご両親が離別したからだ。お兄さんは父親に、渡邊さんは母親に引き取られた。
 離婚後、両親の間ではやりとりが途絶えたけれど、幼い兄弟の間では、ささやかな交流が続いた。年に数回程度、メールが行きかうにすぎなかったけれど、それは大人になってからも続き、兄弟の絆は切れなかった。
 渡邊さんが高校を中退して家を飛び出した時、一番心配してくれたのもお兄さんである堤さんで、職を転々とした渡邊さんが最終的にジャルスの子会社に入社したのも、堤さんの力添えがあったから。
 でも、兄弟のこんな交流を知る親戚はいなかったから、堤さんが亡くなった時、訃報は渡邊さんに伝わってこなかった。たまたま、普段は見ないジャルスグループ共通の社員訃報掲示板を見て気がついた。亡くなってから、すでに三ヶ月も過ぎていた。

「腹が立ったよ。すぐ、堤の家に怒鳴り込んだ。どこのクソ親父が血をわけた兄弟の訃報を伝えないんだって。でも、当時は親父も動転していて、訃報の連絡は親戚の誰とかさんに丸投げした、伝わってないとは、気が付かなかったって謝るからさ。もう畳に頭つけて謝るから、それは堪忍してやったのよ。で、詳しい状況を親父に問い質した」
 渡邊さんは、胡坐を解くと、眦(まなじり)を厳しくした。

 堤さんは、渡邊さんとは違い、あまり丈夫な人ではなかった。そのせいか完全なインドア派で、登山やハイキングをするなんて話を、渡邊さんは聞いたことがなかった。
 ところが事故現場となった展望台というのは、一介の民間企業の敷地内公園とはいえ、自然の起伏に富み、気軽にサンダル履きで行けるようなところではなかった。大人の足で、公園の正門から三十分近く歩かされるところだったのだ。

「実際に、俺も自分の足で歩いてみた。整備されているとはいえ、展望台直下の最後の十分は急な傾斜の道を登らされる。あの兄貴が、思いつきでフラリと行くような場所には見えなかった。一人で物思いにでも耽りたいなら、展望台まで上らなくても、その手前にいくらでもいい場所はあった。池があってベンチもある。しかも……事故のあった数日前からずっと、展望台は工事で封鎖されていた。立ち入らないように遊歩道のあちこちに看板が立てられていたし、入り口にはロープも張ってあったらしい」

「工事中ってことは、そこに工事の人がいたってことですよね?」
 そんなところにフラフラと入り込んだら、追い返されたりしないんだろうか。
「いや。土曜日で工事はお休みだった。誰もいないところでおきた事故で、目撃者はなかったそうだ」
「じゃあ、どうして事故だって……」
「うん。目撃者はいないから、本当のところはわからない。事故じゃないかもしれない。でも、親父が警察から受けた説明は、兄貴の『単独滑落事故』だった。現場の状況とか死体検案の結果とか、まぁそんなアレコレで判断されたらしい。事故翌日の新聞にも、そういう内容のベタ記事が出た。公園の工事現場で滑落事故、男性死亡ってね」
 渡邊さんは、それまで黙って聞いていたアドバイザーのほうへ首を向けた。

「ジャルスの敷地内での事故だからってことで、ジャルスからは死亡退職金に上乗せして見舞金が出た。持ってきたのが須藤専務、君のお父さんだった」
 ゆかりとわたしの視線も集まるなか、アドバイザーはチラとも顔色を変えなかった。渡邊さんが続けた。

「兄貴は、専務が直轄するプロジェクトに参加していた。つまり、専務は上司にあたる。だから、彼が見舞金を持ってくるのはおかしくない。でも、その金額が破格だった」
「破格って?」
 ゆかりの問いに、渡邊さんは肩をすくめた。
「具体的な金額は伏せるけど、まぁ交通事故の賠償金レベルだった」
 ゆかりと、顔を見合わせた。いくら敷地内での事故とはいえ、工事の業者はジャルスじゃないし、ましてや堤さんは立ち入り禁止のロープを越えて入って落ちた。ジャルスに瑕疵はまったくない。にもかかわらず、事故賠償並みの見舞金というのは、妙な気がする。
「専務は、ジャルスの現場管理責任を認めて示談したいと言ったそうだ。見舞金を出す、その代わり、この件については今後一切の申し立てをしない。親父は飲んだ。むしろ、なんて社員思いの会社だろうと思ったって言うんだから、おメデタイよな」
 だろ? と憤慨してみせ、渡邊さんは、気になることはもうひとつあった、と眉間を狭めた。

「順子な、兄貴の葬式に来なかったらしいんだ」
「え?」思わず、頓狂な声になった。あの律儀そうな広瀬さんが?
 渡邊さんがうなずいた。
「兄貴は、何度が順子を自宅に連れてきてたんだ。だから親父も順子の顔は知っていたし、いずれウチに来る女性だと内心思っていた。でも弔問に来なかった。順子は兄貴の同僚だから、さすがに連絡が行ってないハズはない。どうしたんだろうと心配していたら、一週間くらいしてひょっこり現れた。体調を崩して参列できなかったって言ったらしい。それで親父は、兄貴の部屋からみつけていた遺品の指輪を渡した。自分の手で渡してやりたかったろうに、と兄貴が不憫だったらしい」

 ゆかりが、悲痛な顔になった。つい最近、プロポーズを受けて婚約指輪をもらった彼女としては、胸にくるものがあるのだろう。あの、生命力に満ち溢れた豪快で魅力的な広瀬さんの、思いがけない悲しい過去だ。
「俺は、真新しい仏壇を適当にいじりながら、親父の話を聞いていたんだ。で、仏壇の引き出しを開けて、奥のほうに押し込まれている小箱をみつけた。仏具か何かかなと取り出してみると、小箱の中に、さらにビロウド張りの小箱が入っていた。イヤな予感がした。親父に背中を向けてそっと開けてみた」
「……それって、まさか」ゆかりが身を乗りだした。
「そう。中はダイヤの指輪。親父が兄貴の形見として、順子に渡したはずの婚約指輪だった」
 渡邊さんは、また天井を見上げてため息をついた。

「親父の手前、一度は指輪を受け取った。でも、こっそり返した。女が十年もつきあった男からの指輪を受け取らずにこっそり返す。これって、どういうことだと思う?」
 渡邊さんの視線が、わたしをとらえた。
「もらえないと思ったから」
「そうだな、じゃ、何でもらえないと思ったか。ゆかりちゃんはどう思う?」
 ゆかりは、ちょっと考えるふうにしてから、言いにくそうに口を開いた。
「形見としてもらったわけですよね。それを返すんだから、手元に置けない理由があった。たとえば……相手に対して何か許せない気持があったとか。もしくは自分にやましい気持ちがあったとか」
 まぁ、そんなとこだろうな、と渡邊さんが返した。

「ここからは俺の推測だ。兄貴は自分一人なら行きそうもないところへ行った。しかも立ち入り禁止区域だ。多分、兄貴は人目を憚った。憚る必要のある相手が一緒だった」
「事故じゃなく、事件だったかもしれないってことですか?」
 わたしの問いに、渡邊さんは首を振った。
「いや。曲がりなりにも事故当時に警察は動いている。見立てはそう違ってないと俺は思う。ただ、事故に至る経緯が不透明なのが、気に食わない。兄貴はなぜ展望台に行ったのか。一緒にいたのは誰なのか。なぜ滑落したのか」
 いったん言葉を切ると、渡邊さんは考え込むように目をつぶり、次に開くと思いきるように告げた。
「順子は、知っているんじゃないかと思う」
 え? と驚きの声をあげたのは、ゆかりとわたし、同時だった。

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