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コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-2-13

 刻々と輝きを増す夜景を見ながら、一方で、近い距離からの視線を頬に感じていた。
 動けなかった。今動けば、あの視線にきっと捕まる。
 大型の客船が、沖をゆっくり横切っていった。

「寒くなってきましたね。帰りましょう」
 我にかえり、振り返る。「弟」が、手を差し出していた。無愛想な顔が、じっと見ている。

――これ、手をとれ……と、言ってます?

 まわりを見れば、夕暮れの海岸なんてアベックばかり。ああ、そうか、と思い至った。カップルを装う方が、自然に見える。
 環(たまき)の指先を、そっとつまむ。包むように握り返され、たじろいだけれど、つないだ手はそのままに、車に戻った。

「すごい。まわり、アベックばっかり。気を遣っちゃうよねー」
 何も感じてないように陽気な声で、手を離した。車のキーを求められ、渡すと環(たまき)が、運転席に滑り込む。帰路はわたしが助手席に入った。
 扉を閉めると、環(たまき)が前を向いたまま、ポツリと言った。
「希(のぞみ)さん、きれいでした」
「うん。夜景、きれいだったね。豪華客船も見れたし。今日、新月かな。月、出てないよね。星が結構見えたし……」
 黙っているのが落ち着かなくて、どうでもいいことをバカみたいにまくしたてた。
 ため息がひとつ、聞こえてきて、エンジンキーのまわる音が、続いて聞こえた

「大きい荷物を持っていましたね。大変でしょう。よければ送ります。どちらへまわしますか? 車は僕が返しておきます」
「いい。今夜寮に戻るつもりで持ってきた荷物だから。一緒に帰ろう。それより、そろそろ夕食。どこで食べようか」
「また、食べるんですか」
 環(たまき)が、ゲンナリしたように聞き返した。
「一日三食!」
「わかりました」
 やれやれとでもいうように返事をした男は、車を都心に向かう高速に乗せた。アルコールが入ってもいいようにと、車をレンタカーショップで返してから、近くのお蕎麦屋さんの暖簾をくぐった。

 この店を教えてくれたのは、確か克也だ。営業の仕事柄、彼は美味しい店をよく知っていた。
 店内は、蕎麦粉の香りで満ちている。こじんまりとしているけれど、本格的な手打ちの蕎麦屋。仲居さんの、和服姿も粋な店。黒く塗られた木のテーブルが、十ほど並ぶ。入れ込みは、半分くらい。空きのひとつに案内された。

 出入り口を見る向きに、わたしが座った。環(たまき)は、わたしと向かい合わせだ。
 すりガラスのはまった格子のひき戸、和紙張りの吊り下げ照明。このポジションから見る風景も、懐かしい。
 でも、今、目の前にあるのは、自信を湛えた快活な顔ではなく、どこか神秘的で艶のある、褐色の顔だ。時の流れを感じてしまう。心の中で小さく笑った。

「何食べる?」
「海老天蕎麦」
「おっ、学習したね。すぐに希望を言うようになった。じゃ、わたしは山菜天ぷら蕎麦、あとビール。環(たまき)も飲むよね」
「いただきます」
 仲居さんを呼んで、注文を伝える。ちょうど隣の席のお客のもとに、海老天蕎麦が二つ置かれた。
 しまった。海老、美味しそう。
 よし。また半分こだ。海老、一本もらっちゃおう。
 ほんの一時間ほど前の、海辺の記憶が熱を帯びた。
 やめよう。わたし、悪ノリしすぎだ。

 顔を上げると、入り口の扉が開くのが見えた。暖簾を分けて入ってきたのは、長身で筋肉質の――
 目を疑った。
 克也だった。

 次いで、長い髪を上品なロールに巻いた女性が入ってくる。かなり若い。二十代前半――学生かもしれない。この女性にも、見覚えがある。でも、どこでだったか思い出せない。営業所ではなかったはずだ。
 二人ともカジュアルな装いで、デートの帰りかなって感じだ。克也も気づいて、わたしと視線が重なった。

 ビールと蕎麦がテーブルにきた。
「また、半分こしますか?」
 学習能力の高い「弟」が、いきなり海老天を一本、自主的に自分の丼(どんぶり)から取り出して、わたしの丼(どんぶり)の中に入れ、代わりに山菜天ぷらを、箸で半分取っていった。

 最悪だ。どうしてこういうタイミングで。
 身がすくむ思いだった。よりにもよって、克也の前で、こーいうことをされるのも……。「弟」の気持ちは、嬉しいけれど。

「希(のぞみ)さん、どうしましたか?」
「いや……ちょっと知り合い」
 仲居さんに案内されて席についた克也が、また不審そうにこちらを見ている。

 気にしちゃダメだ。もう、何の関係もない人だもの。
 環(たまき)とビールのジョッキを合わせ、お疲れ様、とねぎらい合う。喉に至福の一口を流し込み、ジョッキを置くと、克也が連れの女性に何かを言って、立つのが見えた。
 トイレかな。それとも……。予感という名の緊張が、わたしを包む。
 彼は、ツカツカと、わたし達の席にきた。

「久しぶりだな」
「あ……、お久しぶり。何、デートの帰り?」
 先制パンチを繰り出してみる。
「まぁね」
 平然と答えた克也は、テーブルに手をつき、値踏みするかのように環(たまき)を見た。

「こいつ、カレシ?」
「う、ううん、残念ながらハズれ。研修のアドバイザー」
 驚いた。初対面の環(たまき)に向かって、コイツだなんて。こんなの克也らしくない。
「アドバイザー?」
 環(たまき)は立ち上がると、いきなり克也に手を差し出した。
「広瀬研究室所属の須藤環(たまき)です。希(のぞみ)さんのアドバイザーを務めさせていただいています」
 物腰は優雅だけれど、どこか慇懃無礼(いんぎんぶれい)な感じがする。
「東日本第三・第二営業部の伏木克也だ」
 克也は、軽く環(たまき)の手を取ったけれど、すぐ払うように乱暴に離した。

「おかず分け合うアドバイザーね」
 それからまた、環(たまき)のことをじろじろと見て、ふと気がついたように言った。
「研究センターの須藤……。そうか、君が専務の」克也の顔が、少し歪んだ。「噂の『黒いご子息』か」
「ええ、見てのとおり。確かに僕は黒いですから、そう呼ぶ方もいるかもしれません」
「ち……ちょっと。何やってんのよ。やめてよ、二人とも」
 慌てて小声で、一触即発の空気を醸(かも)す二人を止める。

「お連れの方が、心配されています」
 環(たまき)は座ると、克也の連れの女性の方をちらりと見た。ぽつんと待っている女性が、不安そうにこちらを見ている。

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