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コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-2-15

 週明け、またいつもの日常が戻ってきた。
 寮のロビーを出ると、まずは朝食のために二号館へ向かう。もうすっかり初夏の日差しだ。各棟をつなぐ歩道を彩る緑が濃い。歩いている人の服装も、軽くなった。

 歩道の少し先に、見覚えのある背中が見えた。スーツの上着を小脇に抱え、ノシノシとがに股で歩いている。
「おはようございます」
 追いかけて声をかけると、渡邊さんは眠そうな顔で「ああ、おはよう」と返してきた。近寄ると、酒臭い。
「昨晩も『飲み』ですか」
「まぁね」
 あくびをしながら彼が続けた。「ゆかりちゃんは?」
「欠席です。さっき電話がありました」

 先週の中盤くらいから、ゆかりは朝食に来なくなった。夕食は、半々くらい。朝はダルくって、一分でも長く寝ていたいと言う。
 ちゃんと食べなさいよ、と「食事指導」の矛を向けると、胃がムカムカして無理! と強硬に断られた。そろそろ、疲れが出てくる時期かもしれない。

「そーだ。俺、今日の夕飯はパス」
 渡邊さんが思い出したように言った。「悪い。人と会う」
 クイッとおちょこを傾ける仕草は、どうやら「飲み」ということらしい。
「休肝日、作ったほうがいいですよ」
 ツッ込むと、 「大丈夫だよ。酒は百薬の長っていってね」と屁理屈をこねてニッと笑った。

 カフエテリアの入り口で、姿勢よく佇む姿をみつけた。合流して、レーンに並ぶ。環(たまき)の様子に変化はない。

――昨日、どうしてた?
 気にはなる。でも、聞かない。これは環(たまき)のプライベートだ。
 レーンで、わたしの前を行く長身の背中に「あっ、窓際空いてる」と声をかける。
 レジを出た彼が「わかりました」とそちらへ向かった。
 
 夕方、一日のカリキュラムが終わると渡邊さんは、そそくさと教室を出て行った。ゆかりも、今日はパス。夕食は、買い置きのお惣菜を部屋でゆっくり食べたいと言う。じゃあ、部屋にお邪魔しようかと尋ねると、カレシとビデオチャットしながら食べるから来るな、とツレない。友情よりも、オトコらしい。結局、環(たまき)とわたし、二人になった。

 集合時間には早いけれど、広研(こうけん)に電話して、環(たまき)を呼び出す。
「今日の夕飯、二人だけになっちゃった」
『そうですか』
「ねぇ。カフェテリア、飽きた」
 食事にこだわりのない彼が、いいアイデアを持っているとは思えない。だから愚痴に過ぎない言葉だった。けれど――

「では、出前というのはどうでしょう」
「とれるの? 出前。っていうか、どこに届けてもらうの」
 敷地内に、出前が入れるとは思えない。歩いて往復三十分の正門まで、取りに行く? それくらいなら、カフェテリアで食べるほうがいい。
「寮のそばに裏門があります。そこで、出前を受け取っている人を時々見かけます」
「そうなんだ」
 裏門か。気付かなかった。「じゃ、それ、行こう」
 
 寮に戻り、とりあえず、わたしの部屋に来てもらった。食事をするなら、殺風景な環(たまき)の部屋より、自分の部屋のほうが落ち着く。
 すでに初日、男性である渡邊さんの部屋を訪ねた。勉強会では、何度か環(たまき)の部屋も使った。今更部屋の行き来に、抵抗はない。まして環(たまき)は「弟」だ。

 部屋に入ると、早速環(たまき)が備え付けの端末を起動した。見慣れた社員向けの初期メニューが表示される。そこから「便利情報」なるものをクリックし、以後順次たどっていくと、何と「出前」という画面が出てきた。近在の、出前可能な店の一覧が並んでいる。
「気づかなかった。こんなの、あったんだ」
「はい。どちらのお店も、二人前から配達していただけます」

 ネットからオーダーして三十分もすると、リストホンがピッと鳴った。出前が裏門に着いたらしい。環(たまき)と二人で取りに行くと、他にも頼んだ人がいたらしく、数人がたむろしていた。驚いたことに、その中に小さな子供がいた。四、五歳くらいの女の子。目が合うと、両手をひろげて走ってきた。

「あーちゃん、ダメよ」
 注意する女性の声に、聞き覚えがあった。枝野さんだ。
「あら、永井さんに環(たまき)君、あなたたちも出前とったの」
「はい。枝野さんも?」
「そう。うちはファミリータイプの部屋でキッチンもあるから、自炊出来るんだけどね。今日は疲れちゃったから出前」
 そう言ってペロリと可愛く舌を出す。職場では、見られない顔だ。

「寮って、ファミリー向けもあるんですね。単身者だけかと思ってました」
「各階の角部屋がファミリータイプなの。あなた達のような、単身者向けの部屋と違って2LDK。キッチンもリビングも大きいから、子供が小さいうちは十分な広さよ」
 そういえば、枝野さんは社内結婚で、同じ研究センターの他の部署に、旦那様がいると聞いた。

「あなた達もね、いずれ一緒になったら申し込むといいわよ。家賃安いから、絶対お勧め」
 は? 一緒になる?
「何ですか。そのジョーダンは」
「あら、つきあっているんでしょ? 噂聞いたわよ。よく二人で食事してるって」
 冷やかすというより、普通に世間話でもするように言う枝野さんに、かえって焦った。まさか、そんな噂がたっているなんて。枝野さんの耳に入ったってことは、結構広がっているってことだ。

 ハッとした。わたし、毎日お昼、広研(こうけん)に電話をしている。あれのせいかも。
「研修、がんばってね」
 枝野さんはお子さんの手を引くと、出前の手提げを持って、にこやかに去っていった。
 わたし達も、出前を受け取る。部屋への道すがら、環(たまき)に聞いた。

「ねえ、変な噂になっちゃってるみたいだけど……困ってない?」
「変な噂って、何ですか?」
「環(たまき)とわたしが、つきあってるって。お食事会、まずかったかも」
 考えてみれば、最近は渡邊さんやゆかり抜きに二人で食事するときもあった。ついこの前の週末は、バスでとんでもない姿を――彼の腕の中に入っている姿を、晒しもした。今思い返すと、赤面ものだ。噂になっても、おかしくはない。

「まずいとは思いません」
「本当? 誤解されて困る人、いるんじゃないの?」
 彼女はいないと言っていたけれど、心に秘めた人でもいたら、迷惑になる。
「僕は困りませんが、希(のぞみ)さんが困るようでしたら――」
 隣を歩く環(たまき)の足が、不意に止まった。
「食事をご一緒するのは、もうやめます」
 感情を見せない顔が振り返る。その口から発せられた、やめます、という言葉が、思いがけず心に刺さった。

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