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コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-2-18

「許可は得た。動かしていいぞ」
 樋口さんが示したのは、ゴールデンレトリバーの方だ。
「え? アイドッグじゃ……」
「本物に見えるか」
 赤くて長い舌を出し、はぁはぁと呼吸している。どうみても本物だけれど……。

「アイドッグのリアルタイプだ。見てくれだけじゃない、仕草もまんま本物になっている」
 管理者らしい男性に、ハーネスを持たされる。樋口さんは、彼に「五分ほどでお返しします」と告げ、わたしとアイドッグの傍らについた。

「あの……どうすればいいんですか?」
 盲導犬の使い方なんて、全然知らない。
「そうだな。まずは立たせるか。指示コマンドは、『アップ』だ」
「アップ」
 指示すると、アイドッグが立ち上がった。
「さて、どこへ行くかな」
 樋口さんは周囲を見回し、いきなり何かをみつけたようにニヤリと笑った。

「いいか、見ろ」
 樋口さんが指さす先、ちょうど今いる場所の対角線上に、大きなエアスクリーンが出ている。今日の宴会のタイトルを表示しているものだ。
 アイドッグ、テストフェーズ打ち上げ・感謝の夕べ。

「あのスクリーンの真下に行こう。目をつぶれ」
「え? 目、つぶるんですか」
「こいつは盲導犬だ。目をつぶった方が、ありがたみがわかる」
「は、はいっ」
「いいか、アイドッグになるべく寄り添って歩け。体を離すな。段差や障害物があれば、こいつが止まる。合わせて止まれ。犬への指示は、俺が出す」

 いきなり鬼コーチへと変貌した樋口さんに従い、目をつぶる。
「ゴー・ストレート」
 樋口さんのコマンドが聞こえると、すぐに手が、ハーネスに少しだけ引っぱられた。引かれた方向に、わたしも自分の足を出す。アイドッグが、ゆっくりと歩き出した。

 目をつぶって人ごみの中を歩くのは怖い。ハーネスを握っていないほうの手が、空間を探るように泳いでしまう。
「意外と臆病だな」
「繊細なんですっ!」
 アイドッグが、立ち止まった。わたしも止まる。
「段差だ。二段」
 樋口さんの声に、足探りで一段降りる。アイドッグが動き出すのが、ハーネスから伝わる。二段目を降りるとまた、アイドッグが止まった。
「こいつは、段差の始めと終わりは必ず停止する」
 そうなんだ。
「よし、ここからはトークモードだ」
 は? トークモードって。

『正面ニ障害物。右回リデ迂回シマス』
「なっ、何コレ。今しゃべったの、アイドッグ? 樋口さん?」
「アイドッグだ。ロボット犬だからこその機能だな。会話ができる」
 うわぁ……。

 人の気配の中をすりぬけて、アイドッグが止まった。
「おや、樋口君。この女性はどなたかな?」
 突如、壮年の男性らしい、深みのある声が聞こえた。
「彼女が噂の永井さんですよ、専務。紹介しようと思いまして」
――えっ、専務?
 目をあけると、上等なスーツを着た、大柄で恰幅のいい紳士が、目の前にいた。

「君が永井さんか。はじめまして。須藤大輔です。よろしく」
――須藤?
「環(たまき)の親父さんだよ」
 言いながら、樋口さんはアイドッグをわたしから引き取った。
「う……うわっ、失礼しましたっ。永井です。いつもご子息の環(たまき)さんには、お……お世話になってますっ!」
「はは、そんなに慌てなくても、とって喰いはしないよ。こちらこそ、息子が世話になってるね。ありがとう」

 屈託のない微笑みを、専務は見せた。ビジネスマンというよりも、子供を見守る親の顔だ。
「どうかな。あれはちゃんとやれているかな?」
「は、はいっ。いろいろと教えていただいてます」
「ふむ。まぁ、知識的なことは問題なかろう。それよりも、ちょっと変わり者で、皆さんを困らせたりしてはいないかね」
「いえ、全然」
「永井さんには、ずいぶん仲良くしてもらってるみたいだって、樋口君からも聞いてね。息子を、よろしく頼みます」

 専務の脇でニヤニヤしている樋口さんを睨むと、専務が手を差し出してきた。わたしに握手を求めている。大きな手に、既視感があった。
 そうか。環(たまき)の手と、似ているんだ。
 関節が太く骨ばっている。それでいて指が長く、爪もきれいな形をしている。
――実の父は須藤……
 そう言った時の、環(たまき)の顔を思い出した。複雑なものが、滲んでいた。
 本当に、血の繋がった親子なんだ。それなのに、環(たまき)は「養子」として、須藤の家に入っている。
 慌てて笑顔を取りつくろい、握手する。手が離れると、専務は別のグループの輪の中へ移っていった。

 今しがた握手した手を、じっとみつめる。
――息子を、よろしく頼みます。
 手を、握る。専務の手は、暖かかった。

「どうして、専務に紹介したんですか」
 アイドッグの頭を撫でている樋口さんに聞いた。彼の目が見つめた先、談笑している専務がいた。
「息子が女性と親しくしているって聞いて、嬉しそうだった。親心あれば水心ってヤツだ」
「何ですか、その妙ちきりんな諺は」
 フンっと鼻先で笑った樋口さんが、思いついたように話題を変えた。

「さっき、からまれてただろ」
「見てたんですか?」
「ああ。たいした啖呵(たんか)きってるなぁって、感心したよ」
「悪趣味っ。見て面白がってたんだ」
 どうして、この人には、見られたくないとこばかり、見られるんだか。
「目の前でやり始めたのはそっちだ。覗いていたわけじゃない。でも、まぁ面白かった」
 あっきれた! 環(たまき)のアドバイザーじゃなかったら、そのネクタイ、ぎゅうぎゅうに引っぱってあげるのに。
「いいんじゃないか。あのくらいの勢いがあったほうが。環(たまき)には、時々くだらん女が寄ってくるから」
「オンナ? 寄ってきても、わたしには関係ないですけど」
「ほぅ。さすが、余裕なわけだ」
「違いますっ。別に、環(たまき)とつきあっているわけじゃないってだけですっ!」
「た、ま、き、ね」
 フフンと笑われ、あっ、またやっちゃった、と口を押さえる。
 樋口さんは、笑いながらゴールデンを連れて離れていった。

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