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コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-2-20

「ケンよっ! それ、宇宙少年ケン! 番組のエンドロールで流れるのよっ」
 噛みつくように叫んでいた。せりふが口をついて出る。
「僕はケン。地球の平和を守るため……」
 そうよ、思い出した。ずっとずっと忘れていた。
「君の笑顔、守る、ため……」
 声が段々出なくなる。
「相、棒、トム……と……頑、張、るぞ」
「希(のぞみ)さん?」

 喉が小さく痙攣する。記憶の波紋が広がって、その向こうに、薄汚れた少年ロボットが現れた。
 腕の中から滑り落ちた、たった一人のパートナー。一番孤独で辛かったとき、かた時たりとも離れずに、わたしのそばにいてくれた。
 正義の味方君。もう、顔も忘れてしまっていた。彼の名前は
――ノゾミチャン
 名前は、ケン。

 まぶたをこすり、顔を上げた。
「ごめん。驚いたよね」
 声が擦れた。環(たまき)は、置き物のように座っている。
「いえ。大丈夫です」
 震える喉を、無理やり抑えた。
「お……思い出したの。大切なパートナー、の名前」
 眦(まなじり)を、もう一度こすった。
「ケンっていうの。このくらいの大きさの、お喋りロボット」
 手で、ケンの大きさを作って見せる。

「希(のぞみ)さんのパートナー、ロボットなんですか」
 表情の薄い顔が、わずかに目を見開いた。
「うん。家族で親友で恋人で……かけがえのない存在だった」
 そう。こんなわたしにも、心を開ける「家族」はいた。

「わたし、いわゆる育児放棄の家の子だったの。育児放棄ってわかる?」
「はい」
「親が、子供の世話をやめちゃうのね。前にちょっと話したと思うけど、わたしは、ずーっと子供部屋に閉じ込められてた。ご飯も出たり出なかったり。餓死寸前だった。ひどいでしょ」
 微笑みながらスラスラと、おぞましい過去を喋る自分が不思議だった。でも、環(たまき)は穏やかにうなずいている。彼の目に、蔑みはない。憐れみもない。だから、わたしも素直に話せる。

「学校も行けず一年くらい、そんな生活していたのかな。サイテーな時に、ずっと一緒にいてくれたのが、ケンだった。アニメの『宇宙少年ケン』のロボット。保護されて施設に入るとき、別れ別れになっちゃったけどね」
 ケンがいたから――手で触れられる確かな存在があったから、わたしの心は壊れなかった。でも、そのかけがえのない存在を、失くしてしまった。

 恐ろしかった。唯一、頼れるモノが、もういない。辛すぎて、小さなわたしは、ケンの思い出を封印した。名前も顔も、胸の中の沼に沈めた。
 はじめから、いなかったのだ――そう思う方が楽だった。
 栄養状態が回復して、病院を出たときにはもう、ほとんど覚えていなかった。ただ、腕に感触だけが残っていた。

「わたしがジャルスに入ったのは、ケンとの暮らしがあったから」
 沼の底から、気持ちがどんどんこみあげてくる。
「営業所の秘書から研究センターのスタッフに移ってきたのもそう。ロボットに、直接関わりたかった。ケンが、わたしの進路を決めた。だから……だからっ!」
 だから――。わたしは、環(たまき)に何を言いたいのだろう。前のめりになった言葉が行き場を失う。大きく喘いだ。

「希(のぞみ)さんに、ケンがいてよかったと思います」

 柔らかな、膨らみのある声が鼓膜に触れた。その途端、行き先を見失っていた感情が、暴れるのをやめた。
「……ありがとう」

「ロボットでも、人のパートナーになれるのですね。ケンみたいに」
 笑ってしまった。聞くのは、そこか。
「なれるわよ。少なくとも、ケンはなった」
「そうですね」

「アイドッグは、コンパニオンドールのシリーズでしょ」
「はい」
「広瀬さんは、コンパニオンドールは人の家族になるためのロボットだって言っていた。ロボットが人の家族として暮らす未来は、そう遠くはないと思うけど?」
「広瀬さんが、ですか?」
 気のせいか、環(たまき)の瞳が少しだけ揺らいだ。

「うん、そうだけど」
「そう……ですか。確かにコンパニオンドールには、そういう目的もありました」
「そういう目的も、って。他にもあるの?」
「……アイドッグは、盲導犬です」
「あっ。そっか」

 人の家族になると言ったって、玩具じゃない。実用的なサポート機能が主目的だ。実際に開発の一端に関わる人には、人間との「仲良し」的な一面だけをとりあげられても、嬉しくはないのかもしれない。
「ごめん」
 謝ると、環(たまき)は気にしてないというように、口元だけの笑みを返した。

 食事を再開した。出勤時間が迫っている。つい話し込んでしまったから、ノンビリする余裕はもうない。一気に食べ、空になった珈琲の紙コップをテーブル替わりのデスクに置く。

「僕も……閉じ込められていました」
 え?
 唐突に投げられた言葉に、耳を疑う。
「物心ついたときには、暗い倉庫に閉じ込められていました。救い出してくれたのが、須藤の父です」
 まるでプレゼンテーションでもするように、平然とした顔で語る。でも、その内容は――
「ひどい」
「もう、過去のことです。ただ、おかげで今だに閉鎖空間が苦手です。二回、助けていただきましたね」

 初めて会った時のような、人形のような顔が目の前にある。
 わたしが語ったから……自分も語らなければ、と思わせてしまったのかもしれない。
「ごめん。無理して話さないで。わたし、そーいうつもりで話したんじゃないから。ただ……急に話したくなっただけで」
「僕も同じです」
 うっすらと、褐色の顔に笑みが戻った。でも、ひどく寂しそうに見える。衝動的に、彼を抱きしめたくなった。手を伸ばす。その途端、アラームが鳴った。
 まずい、出社時刻だ。

「ごめん。着替えないと」
「では、お先に失礼します」
 環(たまき)は、手早くデスクの上の食べガラをまとめ、袋に入れると、何事もなかったように出て行った。
 わたしも、素早く歯を磨いて服を着替える。走れるよう、ヒールの低いパンプスを履き、玄関を飛び出した。
 
 休み時間、席で早速ゆかりに囃された。
「今朝、希(のぞみ)が来ないって言ったら、環(たまき)君、渡邊さんやわたしを置いてすっ飛んで行ったのよー。もう、見かけによらず情熱的なんだからぁ。ね、どうだった? 二人のラブラブな朝食は」
「ラブラブなんて、してないわよっ!」
 つい、語気が荒くなった。ラブラブとかじゃなくて。もっと深くて重くて、でも温かいような切ないような……。
「珈琲、買おっか」
 ゆかりの誘いにのって、休憩コーナーへ二人で向かった。自販機で飲み物を買う。窓辺に寄ると、腰の高さから天井まである大きな窓から、センターの敷地が一望できた。高木と低木、そして芝、多彩な緑が織りなすタペストリーが、眼下に眩しい。

「あのね、希(のぞみ)」
 ゆかりは、窓を見たまま、口を開いた。
「環(たまき)君のこと、つい、囃す言い方になってごめん。でも、面白がってるんじゃないの。これでもわたし、本気で応援団のつもりなんだから」
 そう言いながら振り返った彼女は、思いがけず真面目な顔をしていた。

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