コンパニオンドール
< BACK序章 八年目の春の風 0-1
仕事を頑張って頑張って…… 。
わたしはハツカネズミ。
カゴの中にしつらえられた、車をくるくるまわしている。
頑張って頑張って…… 。
でも、この仕事に終わりはない。
◇◇◇
「おはようございます」
「やぁ、おはよう、永井君。 いよいよ今日が最終日だね」
「はい。 番場部長には長い間お世話になりました」
「うむ、新しい部署でも頑張ってな。 あと……いつかきれいな花嫁姿を見せてくれればいいさ」
わたしは、返す言葉がみつからなくて、微笑みを向けながら部長と別れた。朝も早く、まだ誰もいないだろう女子ロッカーへと足を向ける。
――このロッカーも、片付けてしまわないと
異動が決まってから、あらかたの荷物は少しずつ家へ持ち帰っていた。もう残っているものは、ほとんどない。コーヒーカップと化粧品セット、それにタオルと目薬くらい。カランとしたロッカーに、少し淋しいような気持ちになった。
七年間。
わたしがこの会社に就職してから、七年間の月日がたった。その間、ずっと使っていたロッカー。
長かったのかな。
それとも……短かった?
月日の流れは、あっという間だ。
最初は、事務係なんて死ぬほどイヤで、辞令を見たとき、たたき返してやろうかと思った。でも、女子大生の就職は、やっぱり厳しい。
せっかく念願のロボットメーカー、ジャルスに入れたんだもの。
我慢、我慢。 しばらくは大人しく働いて。
希望を出し続けていれば、いずれ異動のチャンスもあるかもしれない。
そんな思いで頑張った。随分と、悔しい思いもしたけれど、我慢した。
事務係には名刺もないし、社内レターの発行だって、自分の名前では出せやしない。サポートしている所属長や営業さん、技術員さんの名前で出す。本当に縁の下の力持ち。
一回だけ、さすがにキレたことがある。
同期入社でも、営業職と技術職には長い研修がある。合宿制で三ヶ月。わたしみたいな事務係は、通いの集合研修が一週間だけなのに、大違い。それだけ会社は、営業さんと技術さんの育成に、おカネをかけているってこと。
で、三ヶ月後。
合宿研修が終わり、現場に配属された同期の仲間と対面した。上司が彼らに、わたしのことを紹介する。
「彼女は永井希(のぞみ)さん。 事務を担当してくれている。君達と同じ、この四月に入社した同期の社員だ。 仲良くしてくれたまえ」
「やぁ、よろしく」
「すごいね、僕達より二ヶ月半も早く現場に出ているんだから先輩だよね」
最初はチヤホヤと、親しげだったこの人達が、勤務時間中はわたしのことを、名前で呼ばないことに気づいた。
「事務係さん、悪いけど搬入物の受け取りに行ってくれない」
「事務係さん、この資料探してきてよ」
「事務係さん、会議室予約して」
そのくせ夜、飲みに行こうってなると、今度は人をちゃんづけで呼ぶ。
「希(のぞみ)ちゃ~ん、今日飲みに行かない?」
信じられない。この態度。
さすがに年配の方たちは、ここまでひどくはなかったけれど、やっぱり深い溝があった。いつも一線ひいている…… そんな態度が見え見えだった。
その日は、朝から電話が鳴りっぱなし。部長宛の来客応対も続き、わたしは手一杯だった。そこに同期の人が、平然と頼みごとをしてきた。
「事務係さん、会議室使いたいんだけど、汚いんだよね。 掃除してくれない」
「汚いって?」
「前に使った人が散らかして、かたずけてないみたいなんだ」
「予約表を見れば、前の人が誰かわかりますよね。 その人に頼めませんか」
わたしは、部長に頼まれた資料の作成に追われていて、手は資料の準備を進めながらイライラと応対していた。
――こっちの状況、見てから言いなさいよっ!
腹立たしかった。
「面倒なんだよねー。探すの。それに先輩だと言いにくいじゃん。事務係さんのほうが頼みやす…… 」
わたしは、黙って席を立った。
ギュッと…… 彼のネクタイを掴み、引きよせてやった。
「よく見てくださいっ! わたしが何をしているのかっ。部長のお客様にお渡しする資料を、大急ぎで作っているのよ。あなたの『面倒くさい』仕事をしているヒマなんかありませんっ。それから……」
さらにグっと、彼のネクタイを引きよせた。無礼な同期が、一瞬おびえた顔を見せた。
「わたしの名前は永井です。ナ・ガ・イっ! 永井希(のぞみ)っ。事務係さん、事務係さんじゃありませんっ! 名前で呼んでください」
彼は力任せにネクタイをわたしの手から引き抜くと、忌々(いまいま)しげに吼えた。
「事務係を事務係と呼んで何が悪いんだよ、事務係さん。オンナのくせに、生意気なんだよ!」
即座に、意地悪く笑い返してやった。
「結構よ。じゃ、好きに呼べば。でも、正しい名前で呼ばれない限り、今後お返事いたしませんから」
「てめぇ……」
「そこまでだ。 澤田、お前が悪い」
仲裁したのが、当時営業主任の伏木克也だった。
わたしがキレたことは、あっという間に知れ渡り、以後わたしに対して小バカにした態度をとる人はいなくなった。
それからだった。徐々に部署にうちとけたのは。わたしに凄んだ澤田君も、後にはそっと、謝ってくれた。いつのまにか、一緒に飲みに行けるようにもなっていた。