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コンパニオンドール

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序章 八年目の春の風 0-5

 モミ手が止まった。部長はおもむろに顔をあげた。
「わかった。そこまで言うのなら、一度だけチャンスをあげよう。それでダメだったら、もうこの件でガタガタ言うのはやめてくれ」
「一度だけって……どういう意味ですか」
 部長の口から大きくひとつ、ため息が出た。
「確かに、ウチの会社には職種転換制度がある。開発職の人間が、営業や保守サービスマンになったり事務系職種に転換するケースは少なくない。でもな、営業所の秘書や事務係が研究センターのスタッフだなんて前例はないんだ」

――前例は、ない?
 わたしの動揺に応えるように、部長は厳しい顔でうなずいた。
「君もわかっているとおり、ウチは世界のリーディングカンパニー、ジャルスだ。その研究所には、優秀な頭脳が全国から、いや、海外からも集まっている。そういう所に、こう言っては何だが技術的キャリアのない、一介の秘書をスタッフとして推薦するのが、どれほど非常識なことなのかわかって欲しい。推薦する僕の常識も、疑われる。だからかわいそうだけど、君の異動願いは毎年握りつぶしていた」

「に……握りつぶされているのは、気がついていました」声が震えた。「そんな理由だったとは、存知ませんでしたけど」
「そんな、じゃない。大きな理由だ。しかし、君の執念と覚悟もわかった。一回だけ、僕もドロをかぶろう」
――え?
「僕の大学の後輩で、研究センターの室長をしているのがいる。AI…… 人工知能の研究をしている女傑だ。彼女に紹介文を書いてあげよう」
 耳を疑った。今、部長は何て言った? 紹介文を書くと言わなかった? 心臓の鼓動が大きくなる。
「ほ、本当ですか」
「ああ、本当だ」

「あ……、ありがとうございますっ」
 勢いよく頭を下げると、顔をあげなさい、というように、部長の指がテーブルの端を軽く叩いた。
「研究センターの人事という、正規のルートは通したくない。彼女に直接面接してもらって、OKなら研究室からの直接要請という形での転出にしよう。これなら波風もたたない。ただし、難易度は高いぞ。ここから先は、君の頑張りしだいだ」

 厳しい顔をしていた部長が、わたしを見て少し笑った。
 嬉しかった。心をこめて、再び頭を下げた。
 狭い門ではあるけれど、それでもやっと、今その扉が開こうとしている。三十歳を目前にして、とうとうわたしは、夢へのチャレンジ権を手に入れた。

 自宅での勉強を、再開した。秘書になってから忙しさにかまけ、ずいぶんと専門知識を忘れていた。以前に読んだテキストを引っ張り出して、コンピュータに関すること、ロボットに関すること、それから最近のトレンド等、深夜まで必死に勉強した。睡眠不足でミスが増え、時には部長に睨まれもした。申し訳けないとは思ったけれど。
――ごめんなさいっ。
 必死だった。一日一日を、全力で駆けていた。
 
 その日は、突然やってきた。
 内線で、番場部長に呼び出されたのは応接室。入室すると、白い応接テーブルの向こう側で、部長と他にもう一人、大柄で華やかな印象の女性が並び座っていた。明らかに、面談の配置だった。
「広瀬君、これがウチの永井希(のぞみ)君だ」
 促され、挨拶をする。
「な……永井希(のぞみ)です。よろしくお願いします」
 声がうわずった。
 広瀬君と呼ばれた女性は、立ち上がると真っ赤なルージュをひいた口元に笑顔をのせて、手を差し出してきた。
「AIの実装方式開発を担当している広瀬順子です。番場部長とは、アメリカの大学に留学していた際、お世話になっていました。よろしく」

 太い眉。大作りでハッキリとした目鼻立ち。豊かな黒髪をアップにしている。何よりも目立つのはその身長。わたしより、頭ひとつ分は大きい。多分、百七十センチは優に超える。大輪の赤い花。番場部長も、彼女の前では影が薄くなってしまう。わたしも右手を差し出して、しっかり彼女と握手を交わした。

「永井さん、番場部長から希望は伺いました。そこまでしてセンターに来たい理由を、話してもらえますか」
 わたしは、正直に自分の想いを、そして過去を話した。上司である番場部長も知らないことが多かったようで、彼も驚きを隠さないまま聞いていた。

「わかりました。では、わたしの研究室に来ていただきましょう。四月一日付でいらっしゃい。ちょうど、あなたと同じように技術職以外の職種から、職種転換で異動してくる人たちがいます。その人たちと一緒に、異動者向けの研修を受けてください。三ヶ月間の合宿になります」
 いきなり出された結論に、わたしのほうが面食らった。
「工学の知識については、確認しなくていいんですか。わたし、少しですが、独学で勉強しました」
「結構よ。基本的な知識はいくらでも後からついてくる。それより、研究に携わる者にとって、もっと大切なものがあります」
――もっと大切なもの?
「それはね。執念よ」
「執念……」
「そう。研究の道に正道はないの。でも絶対に自分が望むものを見つけ出し、作り上げてやる……そういう執念こそがいい結果を生むし、いい仕事につながる。あなたはこの八年間、異動したいという目標に、執念をもってチャレンジしてきた。そしてとうとう前例のない扉を開いた。それだけ聞けば十分です」

 広瀬さんは、ふくよかに張り出した胸の上に腕を組み、太陽のように大きく笑った。
「あっはっは。永井さん。あなたの夢だったんでしょう。センターに来るの。叶うのよ。もっと嬉しそうな顔しなさいよ」

――やっとかなう……わたしの子供の頃からの夢
 ジワジワと小刻みに、実感がわきあがってきた。同時に、広瀬さんの顔がにじんでくる。手首で目尻を押さえてから、広瀬さんと番場部長にもう一度、深くお辞儀をして退室した。

 
 わたしはハツカネズミ。
 カゴの中にしつらえられた、車をくるくるまわしている。
 頑張って頑張って……
 
 ついにわたしは、車からおりた。
 
 これからは、仕事をかたづけ引継いで、春の転出のために備える。毎晩遅くなってもかまわない。日々の仕事が、明日の夢に繋がることを、今のわたしは信じられるから。

 夜、克也にメールした。
 
  研究センターへの異動が決まりました。
  四月一日付です。
 
 返事はなかった。

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