自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-1-17

 アドバイザーは、こんなときにも表情がない。まるで、重たいマネキン人形を抱いているみたいだ。でも、伝わってくる体温に、はっと気づいた。
――違う。彼は人間だ。人形なんかじゃない。
「須藤君。聞こえる? いい、落ち着いて。ゆっくり、ゆっくり息を吐いて」
 反応が無い。彼の背中にまわした手で、彼の背中を軽くたたく。
「口を開けて。息を吐いて」
 まだ反応がない。抱きしめたまま、ゆっくり彼を床におろした。グンニャリとしていて重い。右半身が下になるよう姿勢をなおす。わたしも床に座り込み、彼の顎を上に向かせ、今度は頬を、強めにたたく。ハフっと息を吐く音がした。
 口を半開きにしたまま横たわるアドバイザーの、瞳だけがスッと動き、わたしを捉えた。彼の耳元に口を寄せる。「大丈夫。もう大丈夫だから」
 彼の背中をさすると、つぶやくような、か細い声が返ってきた。
「ダ……シテ」

――ダシテ?
 いきなり長い腕が伸び、抱きついてきた。
「出して……」
 初めて、彼の声に苦悶が滲んだ。聞いた瞬間、彼を力いっぱい抱きしめていた。
 記憶のフタがはじけ飛ぶ。遠い昔の小さなわたしが、畳に転がったまま、息も絶え絶えに呟いている。
――出して。出して、出して。ここから出して!

 今、わかった。
 どうしても、彼を見てしまう理由。
 彼の能面の顔が、ずっと気になっていた。この顔は、知っている顔だったからだ。苦悶を飲み込み吐き出せず、窒息しかかっている顔だ。小さい頃のわたしの顔だ。
 須藤君が……遠い過去のわたしが震えている。夢中になって背中をさすった。

 肩をたたかれた。「ベッドにあげよう」
 渡邊さんだった。
 ゆかりが、ベッドの上に散らばってる物を、かたづけている。
 須藤君の背後に回り込んだ渡邊さんが、しゃがみ込む。太い腕が、わたしにしがみついて震えている男の、腋の下に入った。
「ダメ。まだ動かさないで」
 渡邊さんを、制止した。
「希(のぞみ)ちゃん……」
「大丈夫です。こうしていれば、すぐ落ち着くと思います」
 間違いない、これは精神的なものだ。施設で、わたしもよく、こんな風になった。スタッフの人が、いつも落ち着くまで、抱いていてくれた。

 しばらくして、彼が離れた。まるで夢遊病者のように、ゆらりと立つと、床に座っているわたしに向かい頭を下げた。
「見苦しいところをお見せして、申し訳けありませんでした」
「おい。いきなり立ったりして、大丈夫か。少し休め」
 渡邊さんが腕をとろうとしたけれど、アドバイザーはスルリとかわした。
「少し、体調がよくなかったのかもしれません。ご心配おかけしましたが、もう大丈夫です」
 彼は誰にも視線を合わせず一礼すると、帰ろうとする。
「家は近いのか? タクシー呼ぼう。何だったら送るよ」
 渡邊さんが左腕のリストホンを操作しようと傾ける。
「その必要はありません。僕も皆さんと同じ、寮生活です。同じフロアの22号室。ですから、気にしないでください」
 22号室? わたし、23号室だから、隣じやない。
「じゃ、部屋までわたしが送る」
 立ち上がると、大丈夫です、と押しとどめられた。
「お先に失礼します」
 そのまま背を向けると、彼はフラフラと出口に向かった。背中がすべてを拒絶していた。もう、誰も声をかけられない。
 パタンっと扉の閉まる音がして、足音が遠ざかる。残されたわたし達、三人ともしばらく言葉がなかった。
「おひらきだな」
 渡邊さんがポツリと呟いたのをきっかけに、みんなで散らかっているコップや缶をかたづけ始めた。

「希(のぞみ)」
 ゆかりが恐る恐るといった感じで口を開いた。
「あなた、よく環(たまき)君の発作? 対応できたね。あれ、呼吸(いき)が出来てなかったの?」
「……うん。知人に似たような症状をおこす人がいたから、何となく見当がついた」
 嘘だ。知人じゃない。本当はわたし。

――ちょっと、いろいろあって。感情表現が上手くできないのよ。
 彼を、そう説明したのは広瀬さんだ。彼もまた、人に言えない何かを抱えている。その傷口は、まだ塞がっていない。
 ダシテ――出してって、訴えていた。
 泣きたくなった。あまりにわたしに似ていたから。

 ふいに、自分の胸元から甘い柑橘系の香りがのぼった。
 あぁ、そうか。これ、きっと彼だ。抱きかかえたときに、移ったんだ。
 大きな背中の小さく震える感触が、まだ、わたしの手に残っている。
 
 自室に戻った頃から、風がだいぶ強くなった。窓ガラスをガタガタと、春の風がたたいている。初日で疲れているはずなのに、布団を被ってからも目が冴えて、眠れない。横になったまま、ベッドが寄せられている壁に触れた。
 22号室……この壁の向こうに、彼はいる。
 壁面を撫でる。落ち着かない。眠れない。時計を見ると、もう一時。真夜中だ。

――寝よう。
 ギシッ、と何かがきしむ音がした。壁の向こう、隣からだ。
――起きてるんだ。
 もう、落ち着いたんだろうか。壁に耳を押し当てる。途端、ドサリと何か大きなものが倒れたような音がした。
――えっ、何? まさか……また倒れたりしていない?
 全身が耳になり、壁の向こうに集中する。もくもくと不安が湧き出る。気がついたら、壁をノックしていた。
――バカっ。わたし、何やってるのよ。
 やめよう。深夜だ。大丈夫だよ。うるさくしたら、かえって近所迷惑になる。
 そう思い、壁から耳を離そうとした時、コンコンって……壁の向こうから音が返ってきた。
「うわっ!」思わず小さく声が出た。
 コンコンという音が、再び聞こえた。聞き間違いじゃない。試しに、リズムをつけて、ノックしてみた。同じリズムが返ってくる。元気そうだ。壁を撫でた。

 ガチャリという金属音が遠くでして、トントンっという少し低い音が、今度は別の方向から聞こえてきた。扉の方だ。まさかと思いつつ、少しだけ扉を開けた。ジャージ姿のアドバイザーが、立っていた。

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