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コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-2-08

 金曜日、渡邊さんもゆかりも、朝から荷物を抱えていた。渡邊さんは膨らんだブリーフケース、ゆかりはザック。授業が終われば週末だから、寮には戻らず、そのまま帰るつもりなのだ。
 この日のクロージングは、業務で手が離せない須藤君の代理だという、広研(こうけん)の先輩が来て、チャッチャと事務連絡をすませ引き上げていった。

 渡邊さんとゆかりも、この後、人と会う約束があるらしく、終わるとすぐに席を立ち、荷物とともに出て行った。急ぐ予定のないわたしに、大荷物はない。いったん寮の部屋に戻ろうと、一号館のロビーを出た。
 日がかなり伸びた。六時をまわっているのに、まだ明るい。帰る人の流れが正門に向かう。逆方向へ、散歩のようにノンビリ歩く。二号館の前まできて、ふとイタズラ心が湧いた。

 普段はカフェテリアにしかお世話になっていない二号館のエレベーターで、三階に上がる。案内標識に従って通路をしばらく行くと、細い窓ガラスがはめ込まれた扉があり、そこが広研(こうけん)の入り口だった。

 窓ガラス越しにのぞき見る。立派なキャビネを背面に従えた席は、多分室長席。広瀬さんは不在のようだ。その両脇に、まるで護衛のように席がひとつずつ並んでいる。ひとつには、枝野さんが座って執務している。もうひとつは空席。秘書席かもしれない。
 それ以外の席は、四つずつの島になっている。大きさがマチマチのモニターやエアスクリーンが並び、ところどころ、島の合間にわたしではわからない機械が座っている。席に人がいるのは半分くらい。あの、褐色の肌の「弟」は、見当たらない。
 ちょっとザンネン。働く姿、一度覗いてみたかったのに。

「ウチに用かな」
 背後から声をかけられた。ぽっちゃりとした大柄の男性が、戸惑うわたしの答えも待たず「どうぞ」と扉を押し開けた。今さら逃げるわけにもいかず、彼に続いて中へ入る。枝野さんが、顔をあげた。
「あら。いらっしゃい」
 救いの神だ、とばかりに彼女の席へ向かった。広研(こうけん)の中で、気軽に話せる人は、まだ少ない。

「あの。須藤君は……」
 枝野さんは、室長席をはさんで隣、秘書席のような位置の席をチラリと見て、あら、と呟いてから「実験棟かもしれないわ。今日、テスト機を引き揚げてきたって言ってたし」と答えた。
「テスト機、引き揚げ……ですか?」
「彼は、テスト機を実証試験施設に持ち込んでテストしてるから」
 あれ? 広研(こうけん)は、AIの実装方式について研究している、と面接のときに広瀬さんは言ってなかった? AIの実装方式がどういうものなのかはわからないけれど、テスト機のテストというのは、畑が全然違う気がする。

「それって、AIの実装方式とやらと関係するんですか」
「直接……は、関係しないわね。でも、実証試験の現場と橋渡しをする人が部署にいてくれると、わたし達も試験を依頼しやすくて助かるわ」
「あ。もしかして、彼が現場に強いっていうのは……」
 歓迎会の日、枝野さんは、須藤君が現場に強い人だから、彼が組む実習プログラムは面白いものになると言った。
「そう。彼は実証試験施設に顔がきくからよ」
 よく覚えていたわね、とニッコリほほ笑む枝野さんに、もうひとつ聞いた。
「須藤君の席って、あそこなんですか?」
 秘書席みたいな席を手のひらでさす。
「そうよ。あ、ほら。戻ってきた」
 言われて振りかえると、褐色の肌の男が、先輩社員とともに扉を入ってきたところだった。

「あ、君。永井さんだろ。いつも、こいつを飯に引っ張り出してる人」
 興味津々そうな声をあげたのは、須藤君と一緒に入ってきた先輩だ。須藤君が、振り向いた。
 目が合った。カチリと音がしそうなくらい、その瞳に捕まった。いつもそうだ。熱のない、カメラのような瞳なのに、目が合うと必ず捕まる。息を飲んだ。
「どうしました?」
 机の島を縫うようにしてやってくる。視線を外した。
「……あ。えーと。夕食、どうしようかなと思って」
「今日は週末です。皆さんとの夕食会の予定はなかったと思いますが。永井さんは帰らないのですか」
 先輩が、ニヤニヤしながら須藤君を小突いた。
「お前、もうあがれ。カワイイ彼女待たせんな」
 いや、彼女になった覚えはないし。カワイイなんて言われる年齢でもないのですが、と胸の中で抗議する。なのに須藤君は、わかりました、と素直に答えてから、あの秘書席みたいな席に向かった。

「席、そこなんだ」
 引き出しに、持っていた書類をしまいながら、彼は、はい、と答えた。
「まるで、秘書みたい」
「秘書ではありません。ただ、広瀬さんのサポート業務が多いので、自然とこの位置になってしまったのです」
 広瀬さんのサポート――片腕ってことか。この若さで。
「ねぇ。帰るまで時間あるから、一緒に食べたいなって思って。どう?」
「一緒に食べたい……ですか?」
「そうよ。悪い?」
「いえ」
 引き出しを施錠して、周囲に挨拶する須藤君につき従って、わたしも一緒に挨拶をしながら部屋を出た。

 エレベーターホールに行くと、閑散としていた。都心の営業所だとまだ賑やかな時間だけれど、山の中のセンターに流れる時間は違う。皆、週末は早めに街へおりて、パァっと騒ぐなり早めに帰宅するなりしたいのだろう。
「帰る人は帰って、残る人は残ったって時間帯だわね。静かだ」
 チンっという音がした。エレベーターが扉を開ける。無人の箱に乗り込んだのは、わたし達ふたりだけ。カフェテリアのあるB1のボタンを押す。扉が閉まり、エレベーターが動き出す――ふわふわとした、いつもと違う感覚を足元に感じた。

 いきなりカクンという小さな衝撃とともに、エレベーターが止まった。それから、少し大きな揺れがきた。
 地震だ!
 一瞬、エレベーター内の照明が消えて、すぐに非常電源に切り替わったのか、また点灯した。でも、揺れが長い。次第に不安になってくる。
 天下のジャルスの建物だもの。ちょっとやそっとで壊れるものか。大丈夫、大丈夫。念じ続けた。
 しばらくして、揺れが収まると、館内放送が遠くに聞こえた。

「ただいま、地震がありました。マグニチュード七、震源は××沿海沖。当センター付近の震度は五弱。被害はありません」
 背筋に冷や汗が張付いている。エレベーターのボタンが全部消灯していた。あらためてB1を押し、しばらく待つ。エレベーターは動かない。
 もう一度押す。動かない。扉の開閉ボタンを押す。動かない。背中に、氷の柱を差し込まれたような恐怖が走った。

 ヤダ。開けて。誰か開けて!
 閉じ込められたと思ったとたん、一気に閉塞感が押し寄せてきて、酸欠の金魚のように、口が開いた。胸を上下させて息を吸う。窒息しそうだ。膝が震える。通報用の黄色いボタンに気がついた。
 通報だ。通報しなくちゃ。
 背後で、音がした。よろけたのか、須藤君が、いつもの無表情なまま、壁に上半身をもたせかけていた。目は、虚空を見ている。そのまま、ズルズルと膝を折り、床に尻もちをつく形になった。

 マズいっ!
 歓迎会の夜を思い出した。彼、わたし以上に閉鎖空間がダメだったはず。慌てて駆け寄る。
 息は……息はしている?
 須藤君、須藤君、と名前を呼びながら、肩を抱いて揺すった。手をとってみたら、震えている。
「大丈夫。今、通報するから」
 彼の呼吸を確認してから、ネクタイを緩め、足を前に投げ出させ、楽な姿勢をとらせる。それから立ち上がり、通報ボタンを連打した。
『はい、防災センターです。どうしましたか』
「二号館のエレベーターです。今の地震で停止してしまったままなんです」
『わかりました。オペレータ室から稼動確認いたします』
 わたしが話しているあいだも、須藤君に反応がない。再び彼の元に跪(ひざまづ)き、頬をたたいた。

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