自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

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1章 桜の下で君がみつめる 1-2-09

「須藤君、しっかりして!」
 いつもは相手をしっかりと捕らえる目が、ぼんやり虚空をみつめている。
「今、防災センターに連絡がついた。エレベーター、じき動くから。もう、大丈夫だから!」
 柑橘系の香りが、彼から香る。初めてかいだのは、渡邊さんの部屋の飲み会だった。あの時と同じように抱きよせて、宥めるように背中をさすった。

 どのくらいさすり続けただろう。反応がないのが気になって、顔を覗く。須藤君は、目を閉じていた。
 もう一度声をかけると、彼はピクリと体を震わせ、目を開いた。至近距離で視線が重なる。ゆっくりと、彼は体を離した。
「大丈夫?」
「……大丈夫です。申し訳けありません。また、助けていただいたのですね」
「そんなたいしたことは、してないけど……」
 よかった。もう、いつもの須藤君だ。

「怖いよね、こういうの。わたしも閉鎖空間って苦手」
 そう言いながら思い出した。自分もパニック一歩手前だった。
 でも、大丈夫だった。誰かが先に酔いつぶれちゃうと、酔えなくなるって言うのと同じだ。苦笑した。

「永井さん……今笑いました?」
 目を疑った。いつもは感情を見せない人が、いじけた目つきになっていた。
 何だか、可愛い……。
「ごめん。違うの。わたしも、ちょっと怖かったんだけど。須藤君がいたから大丈夫だったなと思っただけ」
「永井さんも、怖かったんですか?」
「うん。わたしね、小さいとき、部屋に閉じ込められて暮らしていた経験があって……」
 スルリと出てしまった言葉に、自分自身で驚いた。克也にさえ言えなかった惨めな過去の一端を、抵抗もなくしゃべっていた。

「……だからかな。わたしも、閉じ込められるような感覚って、いまだに苦手」
 ねぇ、と彼ににじり寄った。
「ハズれていたらごめん。須藤君も閉鎖空間、苦手でしょう」
「…………」
「この前の宴会のときも今回も、閉じ込められてっていうのがキーワードだと見てるんだけど」
 彼の口元に、薄い笑みが滲み出た。
「お見通しなんですね」
 わたしも彼に笑みを返した。

 落ち着いたところで、エレベーターのボタンを見た。B1のボタンが点灯しているけれど、まだ何の変化もない。左腕のリストホンを見る。すでに小一時間が経過している。
 通報ボタンをもう一度押した。防災センターの人が出ない。緊張が再び走る。背後から、大きな手に肩を抱かれた。
「大丈夫です」
 ついさっきまで、わたしがかけていた言葉が返された。うなずき合う。途端、B1ボタンが消灯し、スピーカーから音声が入ってきた。

『防災センターです。保守回線の一部に不具合が発生し、遅くなりました。申し訳けありません。体調がおかしくなった方はいますか』
「いえ、大丈夫です」
『では、今からリモート操作で最寄り階に下ろします。扉が開いたら降りてください』

 わかりました、と返答すると、エレベーターはカクンと一回身を震わせて、動き出した。すぐに停止し、扉が開く。二階だった。
 保守サービスマンが二人待ち構えていて、わたし達が降りるのと入れ替わりに、「点検中」と書いた黄色い三角コーンを立てて乗り込んでいった。
 階段に向かった。一階に下りると、どちらからともなく、ロビーの椅子に座りこんだ。

「何かもう、カフェテリアはいいやって気持ちになっちゃった」
 閉じ込められていたエレベーターのある建物の、地階に行くのは気が進まなかった。
「そうですね。では、帰りますか」
 どうしようか、とリストホンで交通情報を確認する。案の定、地震の後の保守点検で、列車の運行に遅れが出ている。でも、駅までのシャトルバスは通常通りだ。

「ねぇ、よければ一緒に街に出ない? わたしとしては、夕飯は一緒に食べたい」
 食べているうちに、列車のダイヤも回復するに違いない。
 須藤君は、ちょっと考え込むように瞼を伏せ、それから顔をあげた。
「わかりました。ご一緒します」
 そうと決まれば、と二人一緒に寮へ向かった。

「わたし、帰りの荷物用意するから。ロビー集合でいい? 三十分後」
「わかりました」
 彼と別れ、部屋に戻ると、大急ぎで荷物をまとめた。
 マンションには……今晩一泊すれば十分。掃除して洗濯して、明日の夜には帰ってこよう。「弟」の食生活が心配だし。目を離せば彼は、すぐにロクでもない食生活に戻ってしまう。
 でもって日曜は、どこかに引っ張り出してもいい。せっかく、いい季節なんだから。
 何も無いはずだった週末が、急に彩(いろど)りを帯びてくる。
 不思議だ。わたし、世話好きなタイプじゃないはずなのに。なぜか須藤君のことは、構いたくなる。

――似ているからだ。
 心の闇が囁いた。
 そうかもしれない。わたし達は、多分似たような傷をもっている。
 
 約束通り三十分後、寮のロビーで落ち合った。須藤君は、大鉢の観葉植物の前に佇んでいた。いかにも上質そうな麻のシャツに、着替えている。浅黒い肌に生成りのシャツが、よく似合う。傍から見ると、まるでポスターか絵のようだ。
 思い返せばこの彼を、わたしは二度も抱きしめた。彼女でもないのに。
 今になって赤面しそうだ。邪念を払い、お待たせ、と駆け寄った。

 再びさっき歩いた道を戻り、二号館、一号館と通り過ぎて正門を出る。もう、八時半をまわっていた。
 思いのほか、バス停に並んでいる人は多かった。乗り込んだシャトルバスは、ほぼ満員の鮨詰めだった。

 丘を下っていくバスが、信号で停止するたび、周囲に立っている人の体がのしかかってくる。姿勢を維持できなくて、何度か誰かの足を踏んだ。都度、すみませんと小声で呟く。頭上の浅黒い顔を睨んだ。

「どうしました?」
「いや、背の高い人はいいなと思って。もみくちゃにされないじゃない。身長、十センチでいいから分けてくれない?」
 背の高い須藤君は、周囲の男性よりも、さらに頭半分飛び出している。これなら、押されても全然平気だ。
「分けられるものなら分けてさしあげたいのですが……」
 生真面目な顔で答えた彼は、いきなり浅黒い腕をわたしに巻きつけてきた。抱き寄せられて、密着する。

「ちょ……、何すんの!」
 小声で頭上に抗議する。
「永井さん、さっきからもう六回、僕の足を踏んでいます。だから、降りるまで支えます」
「あっ、ごめん」
 彼の足だったのか。さすがにこう言われては、抵抗できない。腕の中に、大人しく入った。
 カーブの度に、彼の胸に顔が張り付く。甘い柑橘系の香りが気になる。
 どうしよう。酔いそうだ。

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