自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

  < BACK

1章 桜の下で君がみつめる 1-2-10

「……いい香りがする」
 そう言いながら腕の中から見上げると、彼の喉仏が視界に入った。
「そうですか?」
 わたしの方へ、いつもの能面な顔が向く。
「何か香水つけてるでしょ」
「いえ」
「じゃあこれ、何の香り?」
 須藤君のシャツをつまんだ。

「ああ、アロマオイルです。シトラスといくつかのミックスで、恩のある方からいただきました。嫌いでしたら、すみません」
 ううん、と首を横に振った。
「いい香り。須藤君に似合ってる」
「ありがとうございます」
 嬉しそうに目を細めた彼は、年相応の若さがあって、でも初めて会ったときに感じた色気もあって……急に、わたしの体を囲っている彼の腕を意識した。

 最近、少しずつわかってきた。能面、無表情と思っていた彼の顔は、実はちゃんと表情がある。ただ、それはとても慎ましやかなものだから、気付きにくいだけだ。
 確かに、感情表現はうまくない。お愛想は言わない。冗談も言わない。絶対営業にはなれないタイプ。
「ねぇ」
「はい」
「きょうだい、いる?」
「……いません」
 彼の返事には、少しだけ間があった。

 須藤家には、養子に入ったと言っていた。もしかしたら、須藤家にきょうだいはいないけれど、生家にはいるのかもしれない。それでも――
「わたし、きょうだいみたいになれないかな。須藤君がイヤじゃなければ」
「既にお食事会で、僕は弟にされていたと記憶していますが」
「うん。わたしね、弟、欲しかったの」
「光栄です」
 嘘のない目だった。
「弟を須藤君って呼ぶのはおかしいよね。これからは、二人の時は名前の呼び捨てにしてもいい? わたしも、名前で呼んでくれていいから」
「はい」
 また、褐色の顔が薄く笑みを浮かべた。シトラスの香りが、わずかに揺れた。

 独りは寂しい。
 でも、恋愛はもういい。
 だから、弟がいい。

 ぽっかりと空いていた胸の穴に、「弟」を、そっと納めた。不思議とそれは、しっくりときて、温かみが伝わってきた。

 バスが平地に降りて街中に入ると、停止ボタンを押す人がいて、停車した。数人が降りて、それに伴い人が動いた。途端、近くに来た人から環(たまき)に声がかかった。
「よう、環(たまき)。お前、何いいことやってんだ。女の子抱いて」
 何人かが、振り向いた。
「あっ、樋口さん。お久しぶりです」
 平然と、環(たまき)が答えた。樋口さんとやらは、キザな金縁めがねをかけた三十代後半くらいの人で、あごをしゃくりあげて、ニヤニヤしながらわたしを見ている。

――環(たまき)、このキザなおニイちゃんは、あんたの友達か?
 金縁(きんぶち)さんを一瞥してから、環(たまき)の顔を睨みあげた。
「おっ、イキのいいオンナノコだな。俺好みだ。睨んでる、睨んでる」
 まるで柵越しに猛獣でも見るかのような言い草が、気に障った。
「あなた、誰?」
 こちらの口調も、ぞんざいになる。
「俺? こいつの先輩。樋口洋二だ。よろしくな。君は?」
「永井希(のぞみ)。悪いけど、わたし二十九歳。オンナノコじゃありません」
「へぇ~、とても、そうは見えない。環(たまき)より年下に見える」
「それは、一応ほめ言葉かしら」
「もちろんだ」
 樋口さんは、メガネのフレームに軽く手をあてて、口元だけでニヤリと笑った。

 キザな仕草が、懐かしい人を思い出させた。金の文字盤の、派手な腕時計をしていた人だ。
 ガッシリとスポーツマン体型だった彼とは違って、樋口さんという人は、スラリと細身でいかにも研究職って感じだけれど。態度のはしばしに、滲む空気がよく似ている。胸の奥が、シクリと痛んだ。

『終点~。M市駅前~。M市駅前~。明るい住まいを考える、○×不動産は、こちらからが便利です』
「おっ、着いたな。お前ら、飯(めし)?」
「はい」
 環(たまき)が答えた。
「そっか、じゃ、よい週末を」
 樋口さんは、肩越しに片手をひらひらさせると、駅の改札口へと吸い込まれていった。

 駅前のファミリーレストランに向かいながら、早速「弟」の脇腹を小突いた。
「ずいぶんとキザったらしい先輩持ってるのね」
「樋口さんは、僕のアドバイザーです。真面目で面倒見のいい方です」
「へー。とても、そうは見えなかったわ」
「優秀な方です。広瀬さんと同じく室長の立場で、品質管理を担当されています。広研(こうけん)ともつきあいのある部署ですから、そのうち、親しくなれます」
「ふぅん、そう」
 確かに、あの若さで室長なら、優秀には違いない。でも、いきなり初対面の人を猛獣扱いするって、どうよ。失礼なっ。
 克也なら、そんなこと……と考えかけて、思考を強制終了した。
 あれは過去だ。しかも、自分で選んだ結末だ。
 
 週末のファミレスは、混んでいた。少し待たされてから、席につく。テーブルに置かれている電子パッドのメニューから、好きなものをタッチしてオーダーした。
「しっかり食べるのよ。野菜の入ったメニューも選んで」
「はい」
 環(たまき)は素直だ。毎回しつこく言われているから、いい加減もう「わかってるよ」と言い返してもよさそうなのに、いつも素直に、はい、と言う。こういうところは「育ち」かもしれない。

 ウェイトレスは皆、レストランのロゴマークのついた太いリストホンを腕に巻きつけていて、それがピカっと光るたびに、テーブルと調理カウンターを往復している。ほどなく、そのうちの一人がトレーに料理を満載にして、わたし達のテーブルに来た。

 環(たまき)のオーダーは、炒飯、餃子、酢豚、青菜の炒め物……
 教育効果が表れたのか、普通の若者らしいボリュームになっているし、野菜もちゃんと入っている。もぐもぐと無心に食べる姿を見ていると、こっちもほのぼのしてしまう。

「おいしい?」
「はい」
「結構食べるじゃない」
「そうですか」
「あ、ほっぺ」
 褐色の肌に、黄色い米粒つけて……。これは笑える。ひょいっとほっぺを指でなぞってとってあげた。
「ほら、ご飯粒つけて。いい大人が」
 こんなにきれいな顔しているのに、子供みたい。
 ほらぁ~と笑って、ご飯粒のついた指を彼の目の前に差し出すと――いきなり、指にパクリと食いつかれた。

「な、何をするっ!」
 慌てて、褐色のピラニアを振り払った。
「えっ? ご飯粒食べろって意味かと思ったんですけど。違いましたか?」
「違うよっ」

 驚いた。どういう神経してるんだろ。
 最初とずいぶん印象が変わった。見てくれと全然違うんだもの。
 こいつ……とんでもない天然男だ。

< BACK | TOP | NEXT >


応援しています







Since 2015/06/05

↑ PAGE TOP


web拍手 by FC2

inserted by FC2 system