自作小説(一次創作) | 読書感想 | 雑記

コンパニオンドール

  < BACK

1章 桜の下で君がみつめる 1-2-22

 口裏を合わせ――
「ただの事故じゃない……ってことですか」
 ああ、と渡邊さんは答えて続けた。
「言ったよな。ジャルスから、事故の賠償並みの見舞金が出たって」
「ええ」
「代わりに、事故について今後一切の申し立てをしない、とオヤジは約束させられている」
 イヤな単語が、脳裏に浮かんだ。
「口……封じ?」
 渡邊さんは、固い視線で一点を凝視している。背筋が冷えた。

 今、わたしの正面に座るこの人は、四十を過ぎてから、わざわざ転籍までしてジャルスに来た。恩のあるお兄さんの足跡を、辿りたかったからだと言った。
 本当は、それだけじゃなかったんだ。ずっと、会社を疑っていた。そして暗い確信は、ますます強固になっている。

「それ、専務に問い質したほうが」
「無駄だね。専務自身が直轄していたプロジェクトだ。言い訳けなんか、二重、三重に用意してるさ。環(たまき)君がアドバイザーについたことだって、作為を感じたくらいなんだ」
「環(たまき)も」
 思わず声が大きくなった。「グルだって言うんですかっ」
 声が大きい、と渡邊さんが人差し指を立てる。すみません、と謝り、でも、と続ける。
「環(たまき)は……須藤君は二十七歳です。研究職だから多分院卒で、社歴は五年もないはずです。だから堤さんとは」
「確かに年齢からいって、兄貴と一緒に働いたことはないと思う。でも、兄貴の死後もプロジェクトは続き、彼は今、そこに参加している。何より、あの専務の息子だ。何も知らない、ということは考えにくいね」

 そんな……という感情と、そうかもしれない、という理性が、心の中でモザイクのように入り組んだ。環(たまき)が、堤さんの事故の事情を知っている。
 そういえば……
「須藤君が専務の息子だって聞いたとき、渡邊さん、彼に変なことを質問しましたよね。確か、見張りなのか、とか」
「よく覚えてるな」
「あんまりにも突飛な質問だったから、何となく記憶の隅に残ってたんです」
 なるほどね、と渡邊さんが苦笑した。
「俺は子会社に入るとき、兄貴の縁故枠を使っている。つまり、名字は違っても兄貴の血縁だということは人事データに載っているはずなんだ」
 ええ、とうなずく。渡邊さんと堤さんの関係なんて、人事は押さえているはずだ。

「もしジャルスが俺を警戒するなら、どんなに強いコネがあっても採用はしないはずだ。逆に採用されるなら、俺を警戒していない――つまり会社に後ろ暗いことはない。転籍は、ひとつの試金石になると見ていた」
「転籍、できましたよね」
「そう。できた。実は応募した俺自身が一番驚いた」
 渡邊さんは、芸人のように大仰に、笑いながら肩をすくめた。

「で、拍子抜けした気分でここに来たら、いきなりアドバイザーが専務の息子だ。ガツンとヤられた気分になった。それで聞いた」
「あの時、確か彼は……」
「見張り役って何ですか、と言った。全然動じていなかった。それでもう一発、弾(たま)をぶつけた」

「弾(たま)をぶつけた?」
「初日、俺の部屋で二次会したよな。あそこで兄貴の事故のことを明かした。君達には、もう少しつきあいを深めてから話すつもりだったけど、環(たまき)君の反応を見たくなった」
「彼、ぶっ倒れました」――閉所恐怖症で。
「そう。アレは空振りに終わったね~。しかも希(のぞみ)ちゃんの機嫌を損ねて、さんざんだった」
 おどけた口調に、空気が緩んだ。

「今でも、須藤君を見張りだと思ってます?」
「いや、今はちょっと見方を変えた」
「どうして?」
「彼、俺の動向に全然関心を示さないからね。希(のぞみ)ちゃんの食事指導に、素直に振りまわされているだけだ。いや……」
 もしかしたら、と渡邊さんは、顎につけていた手を離した。
「希(のぞみ)ちゃんを、目くらましに使っているのかな」

 衝動的に、言い返していた。
「環(たまき)はっ、須藤君は、そんな姑息なことしませんっ!」
「わ、わかった。落ち着いて。環(たまき)君のことはやめよう。彼がアドバイザーになった理由は気になるけど、今はそれを言いたいわけじゃないし、個人的に彼の人柄を悪くは思っていない」
 わたしが思いっきり睨みつけると、渡邊さんは困ったように首の後ろを掻いた。

「言いたかったのは、プロジェクトメンバーのように専務の息がかかっている奴じゃ、いくらあたっても埒があかないってことなんだ。力を貸してほしい」
 渡邊さんは、二、三回、揉み手をした。
「紹介してくれないか。プロジェクトメンバー以外で、社歴がそこそこあって、プロジェクトについて忌憚のない意見を言える人物」
「無理です。確かにわたしはジャルスに入社して長いです。でも、ずっと営業所だったから、こっちには人脈なんてないです。ゆかりに頼んだらどうですか?」
「ああ、ゆかりちゃんにはもう頼んだ」
「だったらそれでいいじゃ……」

「昨日、アイドッグ、試してただろ」
 え?
「見てたんですか?」
「ああ。一緒にいたの、誰? 金縁のメガネをかけていた男」
 金縁……樋口さんのことだ。
「見たとこ、プロジェクトの人間に顔が利く様子だったし、何となく、そこそこの役職に見えた。専務の下にいる人間でないならば、ぜひ話を聞きたい」
 確かに彼なら、ズケズケと忌憚なく話をしそうだ。

「一緒にいたの、樋口さんです。広瀬さんと同じように、室長をしていると聞きました。でも……」
「でも?」
「須藤君のアドバイザーです。だから」
「じゃあ、彼も口裏を合わせたようなことしか言わない?」
「……わかりません」
 まぁ、いいや、と渡邊さんは座っている姿勢を変えた。
「彼につないでよ。いつでもいい」
「わかりました」

 ふっと、渡邊さんの表情が緩んだ。
「希(のぞみ)ゃんはさ。順子のこと、好きか」
「はい」
「そうか」
「広瀬さんは、わたしを、拾い上げてくれた人です。営業秘書から研究センターのスタッフだなんて、前例がないのに、わたしのやる気を聞いただけで、即採用を決めてくれました。強くて明るくて……」
 婚約者を亡くすという辛い過去も、太陽のように笑いながら語れる人。そして毎月命日には、その親御さんの元を訪ねる情の厚い人だ。渡邊さんは、うん、うんと嬉しそうにうなずいてから、思いもよらないことを言った。

「俺のやってることは、順子を不幸にすると思ってる?」
 ドングリ眼が、まっすぐわたしを捉えていた。

< BACK | TOP | NEXT >


応援しています







Since 2015/06/05

↑ PAGE TOP


web拍手 by FC2

inserted by FC2 system